楡の木の根本では、城下町から移動してきた人々が、所在なさげに身を寄せ合っていた。誰もが不安そうな面もちで、しきりに周囲を見回している。
町から最後に移動してきたゴトリクに、王がちらりと目配せした。ゴトリクは唇を引き結んで頷く。身を寄せ合っている民を見回して、大きく口を開いた。
「みな、家族の無事を確かめてくれ! 働き手を失った一家は報告を! これからどうすべきか、共に考えよう!」
密やかだったざわめきが、うねるように大きくなる。その中から少女が一人、飛び出してきた。直ぐ後ろを少年が追いかけてくる。引き止めようと伸ばされた少年の手をすり抜け、少女は転がるようにしてゴトリクの前に躍り出た。
「ゴトリク様!」
彼女の名前を思い出すのに、ゴトリクは少しだけ時間がかかった。この子は、確か――。
「ルータ。君はレグネルの娘、ルータだね?」
少女はしゃくりあげながら、こくりと頷いた。大粒の涙が次々に沸きだしては、ルータの目尻から流れ落ちていく。
「お父さんとお母さんが――! わたし、わたしだけ、アティスルと外で遊んでいたの! その間に、父さんと母さんは――」
追いかけてきた少し年かさの少年がルータの手を握って、咎めるように控えめに引いた。
「ルータ、失礼だから」
ゴトリクは視線だけで少年を制し、一瞬だけゴルモ王とトルキルへ目線を走らせた。瞬きよりも短い時間でお互いの意思を確認し合う。他の人たちの対応は二人に任せ、ゴトリクは片膝をついてルータと正面から向かい合った。目があった途端、少女の口から悲鳴のように痛切な言葉があふれ出した。
「ねぇ、ゴトリク様は、ロプトと仲がいいんでしょう? お願い、お父さんとお母さんを助けて! ロプトは、わたしたちの守り神なんだよね? 神様なんだったら、わたしのお父さんとお母さんだって助けられるんでしょう? お願い、ゴトリク様からロプトに頼んで!」
ゴトリクは眉を寄せ、深く頷いた。ルータの両手をそっと握りしめる。
「ルータと同じくらいの歳の時に、私もロプトに頼んだことがある。何度も、何回もね。お母様の病気を治して、どうかニブルヘイムから連れて帰って来てちょうだい、と」
その言葉の意味するところに気づいたルータは、小さく息を飲んだ。泣きそうな顔をさらにくしゃくしゃにしてゴトリクを見つめ返す。
「でも、だったら……、なんで……」
ゴトリクは真剣な顔で、ルータの手を握る自分の手に力を込めた。
「いいかい、ルータ。神様だからって、なんでもできる訳じゃないんだ。私たちに守り神がいるように、病の神もいれば、治癒の神もいる。冬の神や戦の神、スキーや狩りの神だっている。神様にも領分があるんだ。そして、ニブルヘイムには死の女神がいるんだよ」
「じゃあ……」
ルータの目元に再び涙が浮かんでくる。問う声は、心細さに震えていた。
「じゃあ、ロプトに頼んでも帰って来れないの? お父さんもお母さんも、お妃様みたいに、もう帰って来ないの?」
ゴトリクは、「そうだ」とも、「違う」とも、言えなかった。
代わりに彼は目を伏せてルータを抱き寄せた。彼女の後頭部に右手を添え、細く柔らかい金の髪を撫でる。しゃくりあげるルータの震える肩を幼子をあやすように何度もさすった。いま彼女にしてやれることを他に思いつけなかった。顔を押しつけられた左肩に、少女の熱い涙が滲む。やりきれなさに、ゴトリクは顔を歪めた。
不意に怯え混じりのざわめきが沸き上がって、ゴトリクは顔を上げた。何人かが楡を指さして、何事か叫んでいる。彼らの指先を追って、ゴトリクは目を眇めた。
「なんだ、あれは……」
それは赤銅色に煌めく光の筋だった。枝葉に隠れた楡の上部から、蔓のように幹に巻き付きながら降りてきている。息を飲む間に、光の筋はするすると流れ落ちてきて地面にまで広がり始めた。
幹のそばにいた何人かが悲鳴を上げて後退る。波紋のようにどよめきが広がり、楡を中心に集まっていた人々の輪に、あっという間にぽっかりと穴があいた。光の筋は螺旋を描きながら、なおも円く広がっていく。
漂い始めた不安の上から、ゴルモ王が呼びかけるのが聞こえてくる。
「触れるでない! 何があるか判らぬ。みな、できるだけ離れよ!」
ゴトリクはルータの手を握って立ち上がり、赤銅色の光から目を逸らさずに二歩、三歩と後ろに下がった。
「アティスルも、こちらへ!」
どうしていいか分からず、立ち尽くしている少年に向かって手を伸ばす。アティスルは弾かれたように駆け寄ってきて、自分に向かって伸ばされた手を掴んだ。少しでも安心させるように、震える小さな手をゴトリクはしっかりと握り返した。
螺旋状の煌めく光の中にルーン文字が見える。何らかの魔法の力が働いているのは明らかだった。問題は、それが良いものなのか、悪いものなのか、判断が付かないことだ。
背後に熱気を感じてゴトリクは慌てて振り返った。子供たちの胸あたりまで高さのある炎が、直ぐそこまで迫っていた。これ以上は退がれない。
ゴトリクは周囲を見渡した。城壁側には炎が回ってくるまで、しばらく余裕があるようだった。石壁が風と共に吹き付けてくる炎を防いでいるらしい。
「みんな、城の方へ!」
ふさがった両手の代わりに顎をしゃくって城を示す。人々はお互いに顔を見合わせ、次いで城へと目を向けた。城壁の向こうでは、飛んできた火の粉から燃え広がったのか、炎が揺らいでいるのが見える。けれども、その手前はまだ炎の浸食を受けていない。
燃え上がる炎と光の筋の間を、人々が慎重に移動していく。
得体の知れない光の筋は、楡の枝先と同じ幅になったところで円を閉じた。それ以上はもう拡がらないようだった。一方、炎はじりじりと迫り続け、いくらもしないうちに城壁を回り込み始めた。
暑さと緊張で、ゴトリクの額や背中にじっとりと嫌な汗が滲む。
せっかく離れたのに、迫り来る炎に押し戻されて、人々は再び楡の木の根本に向かって退がらざるを得なかった。
ルータは繋いだままのゴトリクの手に両手ですがりついた。逃げ場も、対処のしようもない。少女の体は震えていた。無理もない。大人たちでさえ怯えている状況だ。ゴトリクは崩れ落ちてしまいそうなルータの手をしっかりと握りしめた。
アティスルが不安そうな顔で見上げてくるのにも、ゴトリクは真正面から視線を合わせて力強く頷いてみせた。正直、自信なんてこれっぽっちもなかったけれど、彼らを少しでも安心させられるのなら、はったりくらい幾らでもかましてやれる。
「ねぇ、ちょっと待って! 見て!」
背後から聞こえてきた女の声にゴトリクは振り返った。ナンナが驚きに目を見開いて魔法陣を指さしていた。
「炎が……、炎がせき止められてる!」
彼女の言うとおりだった。まるで魔法陣の縁に沿って見えない壁でもあるかのように、炎はきっちりと一分の隙もなく、魔法陣の外側だけに広がっていた。
これは一体全体どういうことだ。ゴトリクは息を飲んだ。
期待と不安の入り交じった視線があちこちで交錯する。魔法陣の内側、楡の根本にいれば安全かもしれない。けれど、本当に……? 誰が何のために作ったのかも判らない魔法陣が、ニブルヘイムへの入り口ではないと、どうして言えよう。
あたり一面、見渡す限り火の海だ。唯一、助かりそうな楡の木の下は、怪しい魔法陣に囲まれている。人々はできる限りお互いに近づいて、ぎゅっと小さく固まり合った。
二進も三進も行かなくなった彼らの中から、ゴルモ王が一人進み出て、魔法陣の前に立った。
振り返った王の目が、ゴトリクを捉える。ゴトリクは何も言わずに、ただ深く頷いた。それに無言のまま頷き返して、王は魔法陣へと向き直った。肩が静かに上下して、王が深呼吸したのが背中越しでもわかった。
誰もが息を詰めて、ゴルモ王の一投足を見守っていた。
王が、その左足を上げる。ゆっくりと足を前に出す。あちこちで、息を飲む密やかな気配がした。王の左足が魔法陣の境界を越えて、地を踏みしめる。火のはぜる、ぱちぱちと言う音が突然大きくなったように感じられた。王は残った右足を上げ、その身体が完全に魔法陣の境界を越える。まだ、何も起こらない。王は強く息を吸い込んで、さらに奥へと進んで行く。楡の幹に右手をついたところで、王はようやっと振り向き、人々を見回した。王は、民に向かって力強く、しっかりと頷いてみせた。
「大丈夫だ。やはり、この楡の木は、ロプトが我々に与えてくれたものに違いない」
わっと、歓声が爆発した。後ろから背中を押されるようにして、ゴトリクは子供たちと手を繋いだまま、皆と共に魔法陣の中に駆け込んだ。人々の勢いは凄まじく、ルータとアティスルが潰れてしまいやしないかと、心配になるほどだった。
幹のそばまで来ると、安心したせいか、どっと汗が噴き出してきた。炎はいつ消えるとも知れないし、このまま蒸し焼きになる可能性だって拭えない。しかし、少なくとも今すぐ丸焦げになって死ぬことはない。そう考えると、自然と口元が笑みの形に緩んだ。
しかし、結局それも一瞬だった。ルータは相変わらず不安そうに身体を縮こませているし、アティスルは何があっても離すまいとゴトリクの腕に必死にしがみついている。爪を立てられている左腕の痛みが、彼の恐怖を物語っているようで、ゴトリクは腕以上に胸が痛んだ。
落ち着かないのは、子供たちだけではない。
大人たちも皆、今にも魔法の効力が消えて炎が侵入してくるんじゃないのかと、息を詰めて魔法陣の縁を監視していた。
周囲に雨が降り出したのは、それからいくらもしないうちだった。
炎がはぜる音と雨粒が蒸発する音が入り交じって、あちらこちらから聞こえてくる。周囲はきっと薄暗いのだろう。いや、燃え盛る火炎が松明のようにあたりを照らし、案外と明るいのかもしれない。
ナンナの手を握りながら、ホズは自分が意外なほど落ち着いているのを感じていた。二度と明けない夜は、ホズにとってはもう日常の一部でしかなかった。暗闇に対する恐怖がない分、他の人たちよりも冷静でいられるのかも知れない。
いや、そうじゃない。知っているからだ。昔、父が聞き出したという『巫女の予言』の全容を。そして、信じているからだ。予言は間違いなく実現する、と。
「ねぇ、ホズ」
物思いに沈んでいたホズは、突然の呼びかけに小さく肩を揺らした。ばつの悪さに眉を下げながら、隣に立つナンナへと顔を向ける。
「なんですか?」
「シギュンは、知っていたのかな?」
ナンナから返ってきたのは、どことなく茫洋とした、遠くを眺めているような声だった。
「知っていた、とは?」
ふふ、とナンナが小さく笑う。
「こんな風に、世界が火の海になること。新しい世界樹が生えてくること。ホーネルンの人たちが、そこに避難すること」
「そうですね。知っていたかもしれません」
「『巫女の予言』で? 実はあたし、どんな詩なのか知らないの。一族の集まりなんてなかったし、あまり他人と関わらないようにして生きてきたから、吟遊詩人が謡うのも聴いたことがない」
「竪琴があれば良かったんですけど」
「あら、伴奏がないと謡ってくれないの?」
いたずらっぽい問いかけに、ホズは一瞬硬直し、次いで笑みをこぼした。
「もちろん、あなたが望むなら、いくらでも。僕が語れるのは、それこそ吟遊詩人たちが旅の道すがら、行く先々の村で人々を集めて謡い聴かせたものですけれど」
「あたしが聴きたいのも、ちょうどそういう詩よ」
ナンナは繋いだ手に腕を絡めてすり寄った。頭を傾けてホズの肩にもたれかかる。
ホズはゆっくりと息を吸った。普段、竪琴の調べに乗せて謡うものを、伴奏なしでやるのは、思ったよりも恥ずかしくて照れくさく、心許ない気持ちになった。
静かに細く長く息を吐きながら、呼気と共に余計な心をふるい落としていく。集中して、耳を澄ます。火の燃える音、雨の降る音、火の消える音、隣にいるナンナの呼吸する音、自分の心臓が鼓動する音。ざわめきの中の、静けさの音。
ホズは開いた胸一杯に空気を取り込み、大きく口を開いた。
『すべての尊い氏族、身分の上下を問わず、ヘイムダルの子らに、よく聴いてもらいたい。戦士の父よ、あなたはわたしに、思い出せる限り古い昔の話を見事語ってみよと、望んでおられる』
張りのある声の迫力に、ナンナは息を飲んだ。ざわめいていた周囲の人々も、何が始まったのか、と目を見開いてホズに注目している。
『太古に生まれ、その昔、わたしを生み育ててくれた巨人らのことを、わたしはおぼえている。九つの世界、九つの根を地の下に張り巡らした名高い、かの世界樹を、わたしはおぼえている』
ナンナにとって、それは不思議な体験だった。
謡われるのは、ギンヌンガ・ガップの暗い虚ろや、神々が月や太陽を創造する場面、浜辺で三人の神が最初の人間に命を与えた顛末。
ホズはまるで実際に見てきたかのように語ったし、ナンナにはその様子が本当に目の前に見えるかのようだった。いや、それは何かもっと違った経験だった。いうなれば、脳裏に浮かぶ光景に飲み込まれるような体験だった。
相変わらず炎は衰えを知らず、雨も少しずつ勢いを増していた。生い茂った楡の葉が防ぎ切れなかった雨が、幹を伝い落ちて細い流れを形作っている。ときたま大きな滴が葉の間からこぼれ、地面に当たっては冷たい飛沫を浴びせかけた。
炎と雨に閉ざされ、自分たちのいる楡の木の下だけが世界の全てのようだった。雨音の中で静まりかえった空間に、ホズの声だけが朗々と響く。
『わたしが一人で戸外に坐っていると、アースの老王がやってこられ、わたしの眼の中をのぞきこまれた。何をわたしにおたずねになるのか。なぜ、わたしをおためしになるのか。
戦の父はわたしに腕輪や首飾りを選び与え、魔法と予言の力を手に入れた。わたしは全世界を、遙か彼方まで見渡した』
そうしてホズによって様々な予言が、今では過去となった予言が謡い上げられていく。ナンナは目を閉じて、耳を澄ました。聞こえてくる一つ一つの光景が、はっきりとした実存感と共に瞼の裏に浮かび上がってくる。
『オーディンの子、紅に染まる神バルドルに定められた運命をわたしは見た。野面に高く、ほっそりと、それは美しい寄生木の枝が生い茂っていた。
ほっそり見えるこの木が危険きわまるわざわいの矢にかわり、ホズがそれを射た』
ナンナが唇を噛んでホズの手を強く握ると、ホズはそれ以上に強く握り返してきた。けれども、二人のそんなやりとりをホズはまったく声には滲ませなかった。
『温泉の森に、わざわいを次々にたくらむロキに似た者が縛られ横になっているのを、わたしは見た。シギュンは夫の身を案じて、そばに坐っている。おわかりか』
ナンナは遠く、見えもしない世界のどこかへと目を向けた。どうか生きていて欲しい。それは願いとも、祈りともつかない感情だった。
『ミーミルの子らは忙しく行き交い、古きギャラルホルンで、運命の幕は切っておとされる。ヘイムダルは角笛を高々とあげて吹く。
そびえ立つユグドラシルのトネリコは恐怖に震え、老樹はうめく。虜は自由を手に入れる。ヘルの道筋にある者はことごとく恐れおののき、やがてスルトの身内は老樹を呑み込む』
ナンナはあの恐ろしい光景、巨大な火柱と化した世界樹が、やけにゆったりと傾いていく様を思い出した。
『一艘の船が、東からやってくる。ムスペルの軍勢は海原を渡ってくるであろう。舵をとれるはロキ。巨人たちは狼と共に攻め寄せ、ビューレイプトの兄弟も一味に加わる。
アース神はいかに。妖精たちはいかに。全ヨトゥンヘイムはどよもし、アース神は集まって協議を重ね、岩壁の案内人小人らは、石の扉の前でため息をつく。さらに知りたいか?』
稲妻が走り、轟音が耳をつんざいた。炎がいっそう勢いを増して燃え上がる。
『太陽は暗く、大地は海に沈み、きらめく星は天から落ちる。煙と火は猛威をふるい、火炎は天をなめる』
けれども、負けじと雨が降り注ぐ。絶え間なく地面に当たっては跳ね返る雫が、派手な音をまき散らしている。立っているだけのナンナの靴でさえ、ぐっしょりと濡れそぼり、水の冷たい感触が容赦なくつま先を冷やした。
『水に洗われた常緑の大地がふたたび現れ出るのが、わたしには見える。滝はたぎりおち、鷲は上空を飛び、山に休みて魚を狙う。
種も蒔かぬのに、穀物は育つであろう。すべての禍は福に転ずるであろう』
ナンナはゆっくりと目を開いて、視線を上げた。心に浮かんだ夜明けを迎える光景が、一面に広がる空に重なって見えた。そう、ちょうどこんな風に、雲の彼方から薄明かりが現れ、暗い空を紫に、赤に、橙に、そして青へと染めていく。
「空が……」
ナンナは目を見開いて、ホズの腕を強く引いた。
「空が明るくなっていく。太陽が昇る!」
徐々に見えてきたのは、焦土と化した世界だった。白い灰の中に黒い焦げ跡が点在している。そこかしこから未だに細い煙が立ち上っているし、灰の上のいたる所を雨水が川となって流れている。
生き残ったホーネルンの人々がナンナの声に目を開け、顔を上げた。その疲れ切った表情が、朝の光に照らされて少しずつ生気を取り戻していく。
『地下の暗き山脈から黒い飛龍、閃光を放つニーズヘグが舞い上がり、翼に死者を乗せて野の上を飛ぶ。しかし、やがてはそれも沈むだろう』
ホズが最後の一節を謡い終えると同時に、遠く霞んで見える山脈の影から黒い影が舞い上がった。翼をはためかせ、空中を縦横無尽に蛇行しながら、時折でたらめに火を噴きかけている。
それを見たホーネルンの人たちから歓声が上がった。誰からともなく『巫女の予言』の最後の一節を叫び出す。
「ニーズヘグが舞い上がり、翼に死者を乗せて野の上を飛ぶ。しかし、やがてはそれも沈むだろう!」
「やがては、それも沈むだろう!」
あたりは歓喜で溢れかえった。抱き合うもの、泣き崩れるもの、雄叫びを上げるもの、叫びながら飛び跳ねるもの。誰もが喜びを爆発させ、自分自身の声でさえ聞こえないほどの騒ぎだった。
「終わったんですね。何もかも」
耳元で告げられたホズの言葉に、ナンナは思わずといった風に笑みをこぼして叫び返した。
「何もかも終わった? でも、あたし達は生きてる! 生きてるのよ!」
「そうだ、姉ちゃん、いいこと言った!」
ナンナの叫び声に、近くにいた男が太い指の手でナンナの頭をわしわしと撫でた。あまりの力に、ナンナは首の骨が折れてしまうんじゃないかと思ったが、それでも彼女の口元からは笑いが漏れ続けた。
周りの人たちも、口々に喜びを叫び、抱きしめ合い、誰もがみんな揉みくちゃになっていた。
「すべての禍は福に転ずるであろう!」
「種も蒔かぬのに、穀物は育つであろう!」
群衆の上からゴルモ王の力強い声が響く。
「そうだ。これは終わりじゃない、継続だ! 今までの続きとして、もう一度、一から築き上げるのだ」
ゴルモ王の言葉に、民は皆頷き、どこまでも広がる灰だらけの煤けた平野を見渡した。
そして、視線を上げ、自分たちを守ってくれた、巨大な楡の木を仰いだ。幾重にも枝葉が折り重なって、その上の方はまったく伺い知ることができない。たとえ枝葉がなかったとしても、人の視力では、到底視認することなどできないだろう。
けれども、彼はそこにいた。
長い呪文の詠唱に喉は枯れ、声もかすれていたけれども。役目を終え霧散していく雲を割って、ソールの娘が誇らしげに胸を張り太陽を運んでいくのを目を細めて眺めていた。
もう、魔力も底をつきかけている。ほとんど聞き取れないような微かな声で、ロキは仕上げの言葉を口にした。
「種は、氷に耐え、炎に耐え、新たに花開くためにこそ」
冬の前、萎れた花の代わりに堅い殻に包まれた種子を作った植物たちが、辛苦の季節の終わりを悟って、一斉に芽を吹き出す。彼らは分厚く降り積もった灰を養分にして、ぐんぐんと青い葉を伸ばしていく。
ロキは色のない地上が緑に覆われていくのに笑みを浮かべた。
「なぁ、シギュン。世界の終わりにしちゃ、ずいぶん上等なものが残ったとは思わないか?」
ロキは目を閉じて、ゆっくりと息を吐き出した。
これは始まりだ。そして、同時に続きなのだ。いつだって世界は引き継がれていく。今までも、これからも。
九つの世界に深く根を張り、枝を広げ、大きく成長した楡の木の葉先から、透明な雨の雫が太陽の光に輝きながら、きらきらと滴り落ちていった。