私がワイミーズハウスに引き取られたのは、母が列車転覆事故で死亡したためだ。事故当日、母と共に列車に乗ったときには、もしかしたら自分も今日、母と一緒に死ぬのかもしれないとドキドキしたものだが、何のことはない、私は母を失っただけだった。父はとうの昔に暴漢に殴り殺されていた。身寄りのなくなった私を、しかし、親戚連中は皆、気味悪がって引き取りたがらなかった。
それは私が幼い頃、祖母の死期を正確に言い当てたのが原因だ。いや、祖母の他にも何人か、死期を言い当てた親類がいたかもしれないが、何しろ覚えていないので確かなことはわからない。名前を言い当てた相手は、隣近所の人間を含めて何人かいたように思う。まだいとけない少年だった私は、周りの大人の反応を見て初めて、それが一般的に不気味に思われることだと認識するに至った。
それまでの私は、自己紹介というものが不思議でたまらなかった。何しろ、わざわざ名乗ってもらわなくたって顔を見れば、その人の名前と寿命が見えるのが、私にとっては至極当たり前のことだったのだから。
私は、幼いながらも排斥の対象だった。だから、私が天涯孤独の身になったとき、進んで引き取ろうとするものが誰もいなかったことは当然の帰着と言えた。
特段、私はそれを責めるつもりはない。むしろ私は、私を引き取らなかった親戚連中には感謝しているくらいだ。彼らが私を見捨てたからこそ、私はワイミーズハウスに引き取られることになったのだから。
彼に、出会えたのだから。
L。
私の人生の中で、もっとも意味を持つ存在。
彼もまた、孤児であった。
人間は社会的な生き物だ。たとえ子供であっても、歴然とした上下関係を持った社会を作る。子供社会は多少単純ではあれど、本質的には明部暗部ともに大人社会が抱えるものと同じだ。というより、子供社会のほうが、その暗部がよりストレートに現れる。それは、いわゆる優秀と呼ばれる子供たちばかりを集めた養育施設であるワイミーズハウスにおいても、例外ではなかった。
院に入った子供には、必ず洗礼が与えられる。
何も知らない新入りに、暴力でもってその社会での立ち位置を叩きこむ。どこにでもある、たいして面白くもない風習だ。
私に対してのそれは、言葉の暴力という形でもって行われた。数年前には、もっとわかりやすい力の暴力でもって行われていたようだが、どうやら洗礼を与えようとした先輩方を逆にぶっ飛ばした新入りがいたようで、一度大問題になったことがあるようだった。それ以来、洗礼方法は良くいえば巧妙な、悪くいえば姑息な、より露見しにくいものに切り替わったらしい。
ともかく、私に与えられた洗礼名は13だった。
私が母と共に事故にあったのが十三日の金曜日。翌月、私が正式に院に迎え入れられたのも十三日。十三日の金曜日といえば、キリストが磔刑に処された日であり、前時代的ではあるが、未だに不吉の象徴として扱われている日付でもある。そんな不吉な数字が、ここに来て最初に与えられた私のあだ名だった。
別段、それを気に病むほど神経の弱い子供ではなかったつもりだったが、その実、人に嫌われて平気でいられるほど、私の内面は成熟してはいなかった。
13。縁起の悪い数字で呼ばれることに、私は確かに忌避感を持っていた。
Lに初めて出会ったのは、院に入って一か月も経った頃だったと思う。新しい生活に慣れ、辟易するようなあだ名にも慣れてしまった時期に私は食堂で彼を見つけた。
私が言うのもなんだが、彼は随分と奇妙な子供だった。子供と言っても体の大きさから判断するに、私よりも年上なのは明らかだった。彼の少々大きすぎる目は黒々としたクマに縁どられ、わざわざ椅子の上にちんまりとしゃがみ込んだ彼は、幼児のように爪を噛んでいた。
何よりも奇妙だったのは、その名前だ。アルファベット一文字のファーストネーム。そんな名前の人間を、私はそれまで見たことがなかった。その後も今に至るまで見たことがない。
あまりにまじまじと見つめていたからだろうか、彼は顔を上げて私に視線を合わせた。彼の目には不思議な力がある。まっすぐに向けられた射ぬくような黒い瞳に、私は指一本動かせなくなった。
そうして私達は言葉もなく見つめ合っていたが、しばらくして彼は思い出したように、ああ、と声を漏らした。
「あなたが噂の13ですね」
そう言われても、私は黙って立っていた。13は確かにここでの自分の呼び名だったが、彼の言った噂が何を指しているのかわからない私には答えようがなかった。
彼は口唇にうっすらと微笑みを浮かべると、黙って私のことを手招いた。引き寄せられるようにして、私は彼の向かいの席に腰をおろした。
「ここは楽しいですか?」
「別に、普通」
「そうですか。それにしても、いいあだ名をもらいましたね」
控えめに笑いかけた彼を、私は信じられない思いで見つめ返した。ぱちぱちと瞬きを繰り返す私に、彼は困ったように頭を掻いた。
「気に入りませんか? 聞いたとき、私は良いと思ったのですが」
「なんで?」
彼はあたりを見回して、誰かが置き忘れたのだろう、一本だけ取り残された黒のマジックを手に取ると、親指と人差し指、中指で摘むような変わった持ち方で、テーブルに直接、文字を書き始めた。
Lはまず1を書き、続けて先ほど引いた縦線にくっつけて、その右側に3を書いた。出来上がった文字は当然、Bである。
「1たす3はB。あなたのイニシャルです。小洒落たあだ名だと思ったのですが……」
それは、ともすれば悪意でもって付けられたあだ名こそが相応しいとも取れる発言であったが、どうやらLは本気で言っているらしかった。そもそもこの人には、自分のものであれ、他人のものであれ、好意や悪意といった人に向ける感情に鈍い所があった。Lが私への洗礼に加わらなかったのも、ただ単純に興味が沸かなかったからなのだろう。
この話だって、何か深い意図があったわけではなく、単にそういう見方もある、と彼にとっては取るに足らないごく小さな事実を指摘してみせたに過ぎないに違いない。それでも、彼の示してみせた視点の切り替えという作業が、私に与えた効果は絶大だった。1と3を足すことで不吉な数字は全く別のものに変質する。悪いものでも、別の角度から見れば、良いものに変化する。
思わぬ発見に、私は目を輝かせた。
「じゃあ、あんたは7だ」
言って私は彼の手からマジックを奪い取り、彼と同じようにそのままテーブルに7の文字を書き記した。
「僕から見れば数字の7だけれど、あんたから見ればアルファベットのLに見えるだろう?」
得意げに言った私に、彼は感心したように頷いた。
「13と7。では、私達はイニシャルが数字の者同士、というわけですね」
にこりと笑った彼の笑顔に、私はなぜだか胸を突かれた。それまで不吉の象徴でしかなかった13という数字が、私にとって特別な意味を持つものに変わった瞬間だった。
その後、テーブルに落書きしたことを二人してこってり絞られたのだが、その経験は私達に不思議な連帯感をもたらした。
L。
彼は、知れば知るほど妙な人物だった。
彼が院に入って数年経つというのに、彼に関して多くを知るものは少なかった。あまり表には出てこず、大抵部屋で一人でいる彼に、関心を向ける子供が少なかった、というのもある。それでも、漏れ聞こえてくる話はどれも珍妙で、ますます私を彼に惹きつけることになった。
曰く、甘いもの以外は食べると吐き出すとか、二、三日ずっと夜も眠らずに起きていて、眠る時は電池が切れるようにして椅子に座ったまま寝てしまうとか、いつも同じ服を着ているが、あれは同種のものがいくつもあって着回してるとか、実はブランド物だとか、ペンだけでなく全てのものを摘むようにして持つとか、外に出る時も靴を履きたがらないとか。
それでも、私を何よりも惹きつけたのは、彼が稀に見せる笑顔だった。
彼の周りをうろちょろし始めた私に、逆に彼の方もいくばくかの関心を持ったようだった。彼は滅多に部屋から出歩かなかったが、廊下や談話室で会えば、にこりと笑って私を手招き、二人で短い会話をした。
彼の心を惹きつけるのは、解き明かせない謎だった。私が思うに、彼は考える、ということが生きがいだったのだと思う。イギリス人は生きるために食事をし、フランス人は食事をするために生きている、などというが、その文脈でいえば、彼はまさに考えるために生きていた。常に思考し、頭を働かせ、論理を組み立てる。組み上げられた論理が、たった一つの隠された真実にたどり着くまで、彼は休むことなく延々と思考し続ける。
そんな彼が見つけた最高の思考ゲームが、未解決事件の解決だった。
最初は新聞に載ったニュースに対して、彼なりの回答をスコットランド・ヤードにEメールで送る程度のものだった。その頃の私は、彼の回答を聞くだけで満足していた。稀に、行方不明の人物の生死をLに教えてやることもあった。それによって、彼の思考の手助けができるのが誇らしかった。
しかし、次第にスコットランド・ヤードは彼の回答を頼みの綱とする様になり、Lはいつの間にかワイミーと共に院から姿を消した。創設者であるワイミーはともかく、Lが消えたことを気にするものは私を除いたら皆無だった。何しろ、彼は院のほとんどの連中と大した関わりを持っていなかったので。
一方で私の喪失感ははかり知れないものがあった。Lは、私が人の生死を告げても気にしない、たった一人の人間だった。彼の思考は柔軟だ。私が見える、と言えば、そういうものか、と受け入れてくれた。馬鹿にすることも、気味悪がることもなく、ごく自然に当たり前のこととして。彼の受容が、私にとってどれほどの救いであったことか。彼の寛容さに、私は少なからぬ憧憬と多大なる尊敬の念を抱いていた。
私が、彼との同一化をはかり始めたのは、その頃である。今にしてみれば、私の前から忽然と姿を消した彼を自分の中に取り込むことで、私は失った彼を取り戻そうとしていたのだと、思う。
私と彼には、はっきり言ってあまり似たところはなかった。
私達の共通点と言ったら、二人とも黒髪、黒目で、平均よりも少しばかり背が高く、そして痩せぎすであることくらいだった。
それでも、私は彼を真似て毎食甘いものを口にし、椅子の上にしゃがみ込み、ティーカップを摘めるように握力をつけ、クマを作るために眠らずに過ごした。新聞に載った未解決事件について、彼の回答を思い出しながら自分なりに理論を組み立てたりもした。
それらは誰の目にも奇っ怪に写ったらしく、院の児童指導員からワイミーにも話が行ったらしい。世界の捜査機関が頼るLの後継として、事件推理のための思考実験のようなものが送られてくるようにもなった。
しかしながら、私が望んでいたものは、そんなものではなかった。
私は、Lになりたかった。それは、私が彼の代わりになるということではなく、彼と同一の存在になるということ。私が彼であり、彼が私である状態になりたかった。それには二つの方法しかなかった。
すなわち、彼が死んで、私が彼を取り込むか、私が死んで、彼が私を取り込むか。
そして私は後者を選んだ。彼が最も愛する解けない謎を贈ることで、私が常に彼の思考を独占する。組み上げても組み換えても終わることのない理論の塔を、彼は一生組み立て続ける。時が経ち、火急の事件に囚われることがあっても、彼の思考力に余力があれば、必ず私のことを考えてくれるであろう。あの事件の犯人は一体誰なのか、と。
あるいは彼は、私なんかが考えたトリックは直ぐに見抜いてしまうのかも知れない。もし仮にそうだとしても、全く問題ない。なぜなら、彼が悩み続ける命題が事件の真犯人を探すことから、私の真意を探ることに変わるだけなのだから。人の心は、他人には絶対に理解できない。推察することはできても、真に理解することはありえない。理解できないという断絶こそが、他者と自分という決して揺らぐことのない境界を意識付けている。そして、その断絶のゆえに私は彼の心に残り続ける。私は彼の一部になれる。
それは、背筋が凍るほど甘美な夢想だった。
私は今でも、ふとした拍子に彼のことを思い出す。
きっかけはあまりに些細で、いたるところに配置されている。例えば、窓ガラス。眼鏡、日付、いちごジャム、釘、指紋、時計、死体破損。彼にまつわる一連の数字……。すなわち、四、一三、七、二十二、三十一。そして、彼であり私でもあるイニシャルL.L.。
思い出すきっかけがあまりに些細なため、私は四六時中彼のことばかり考えているように錯覚することさえ稀ではない。
私と彼は、あまり似ていない。
私達の数少ない共通点は、二人とも黒髪、黒目であり、平均よりも少しばかり背が高く、そして痩せぎすであること。
だから、彼が自らを殺害してまで告げたかったもの、残したかったものがなんなのか、私には一切わからない。
Lという半ば制度化された私への反発か、あるいは単に彼自身の快楽殺人の傾向からか……。もしかしたら、彼に一言もなく姿を消した私への抗議かもしれない(院の中で私と彼との関係は、少なくとも私とその他の子供たちと比べて、別れ際に一言あっても良さそうな関係であったことは、いくら私でも理解している)。
私がいくら考えようと、彼は決して犯行の理由を口にしない。また、私が彼の動機を推察するには、私達はあまりに違いすぎた。
彼が何を考え、何を思い、何を目的としていたのか。彼の思考をたどるには、私はあまりにも知らず、彼は、私に教えない。
B。
私の知らぬ間に、犯罪者として目の前に立ち現れた、かつての友人。ロサンゼルスを恐怖のどん底に陥れた猟奇的殺人鬼。神経質なまでの証拠隠滅と意図的に現場に残されたメッセージ……。一連の殺人事件の犯人をBと暗示しておきながら、最後の犠牲者に自身を選ぶ不可解な目的意識……。
二〇〇二年八月二十二日、ぎりぎりではあったが犯人は取り押さえられ、最後の犠牲者は生存した。事件は無事に解決したにもかかわらず、私の手に残ったのは決して解き得ない謎だった。
B。
彼は、何を思って事件を起こし、Lを名乗り、私に何を伝えようとしていたか……。
いくら考えたところで、私一人ではその答えに決してたどり着けない。答えは、本人の口から直接語られる以外にはありえない。いや、それさえも、私は真実として受け入れられるか怪しい。彼は嘘をつくかもしれず、たとえ今現在の彼にとって真実であっても、犯行当時の心情とは異なっている可能性もある。
それは、決して正しい解を持ち得ない命題。
それでも、私は考え続ける。論理の向こうにある解を。あまりにもまっすぐに向けられた思いを、汲み取れないかと悪あがきする。思考のきっかけはあまりに些細であり、いたるところに配置されている。それらは彼が準備し、そして私が整える。
「そして、これから私を呼ぶ時は「L」ではなく、「竜崎」と呼んでください」
未だに私は、彼に囚われている。
【同一化】
同一視とも言う。
自分が好意を寄せる相手の言葉や動作、仕草、趣味などパーソナルな部分を真似することによって、相手の利点を取り込もうとする心理的な働き。
Lにはまった人なら、L座りしてみたり、指先でティーカップを持とうとしたり、爪を噛んでみたりしたことがあるはずだ! そういった、好きだから真似したいという心の働きを同一化という。
優れた人物の利点を取り込むことのなるので、良い方向に働かせることができれば、自分自身を向上させることが可能。