Case1:敬

「ほら、やるよ」
そう言って渡したのは、藍色のリボンのかかった細長い白い小箱。
3月14日、ホワイトデー。
今年はたまたま日曜日で百合は当然の如くうちに遊びに来た。本日の百合の目的は、俺からのお返しをもらうこと。
「わぁ、ありがとう。開けていい?」
お礼もそこそこに百合は中が見たいと目をキラキラさせる。
「お前な、少しは遠慮しろよ」
「いいじゃん。毎年その場で開けてるんだし!」
呆れたように言ったら百合は楽しげに包みを解きだした。その様子に俺の表情も緩む。今年は、ない小遣いをはたいて例年よりもいい物を買った。喜んでくれればいいんだけど。中から現れた代物に百合が歓声を上げる。
「かわいい!」
小箱から現れたのはガラスの目をもったプラチナの猫。小さなそいつは銀色の鎖にぶら下がって、きらりと光った。その猫よりも輝く目で百合がそれを見つめる。
「敬、ありがとう!」
にっこり笑った百合に俺も笑い返した。この笑顔を見るために、俺はこうして毎年お返しをする。

バレンタインに初めて百合にチョコレートを貰ったのは、俺が小学二年生、百合が一年生のときだった。家が通り向かいの俺たちは、小さいころから毎日一緒に駆けずり回って遊んでいた仲だった。一番最初のそれは恋よりもずっとずっと儚い感情。言葉にしたら壊れてしまうような想い。
あえて明け透けにものを言うなら、恋も解からぬお子様が、世間の風潮に流されたのだ。その一ヵ月後のホワイトデーに、俺ももちろん世間の風潮に流された。お返しは、確か定番のキャンディだった。
それから、俺たちのバレンタインの習慣はずっと続いている。いつからだろう、その中に恋という淡い、しかし確実な感情が入り込んできたのは。
「ホワイトデーと卒業祝いと入学祝いと、それ全部一緒だかんな」
指折り数え上げて釘をさしたら、とたんに百合は不満げな声を上げる。
「えー、三つとも同じなんてなんか手抜きじゃない?」
「何言ってんだよ、今年のはいつもより予算割いたんだからな。それに! 俺は去年お前から入学祝なんて貰ってないんだぞ!」
「いやーん、敬、怒らないで?」
下から上目づかいに覗き込んでくる百合の頭を撫でてやる。
「まったく、百合は我侭な妹姫だよ」
「えへへへ」
頭を撫でられてくすぐったそうに百合は笑った。四月になれば、また二人で学校に通うようになる。それが待ち遠しくてたまらなかった。

校門の前で百合が出てくるのを待ちながら、俺は桜の木を見上げた。青々とした葉の間に、ちらほらとピンク色の愕が見える。入学式といえば桜だが、実際に入学式をする頃には華はすっかり散ってしまって葉桜だ。
そういえば、卒業式の頃はまだ早すぎて桜の木は色づいた蕾をつけてはいたが、華は望むべくもなかった。結局、桜の華が見頃を迎えるのは春休みなのだ。
「ごめん、敬! 待った?」
「待った待った。あんまり遅いから迷子になってるのかと心配した」
カバンを片手に昇降口からかけてくる百合に向かって軽く手をあげる。
おろしたての真新しい制服は百合には幾分大きくて、制服に着られているその感じがいかにも新入生らしかった。
「こういう時は『ううん、今来たところだよ』って言うべきでしょ」
文句を言いながら横に並んだ百合と歩き出す。
「何だそれ、デートじゃあるまいし」
「いいの! 待ち合わせのときはそう言うの!」
「せっかく人が百合が迷子にならないようにって、待っててやったのに妹姫は要求が多いですねー」
「何よ。別に敬に送って貰わなくたって迷ったりしませんよー!」
「どうだか。新しい学校になって早速迷子になってたくせして」
「それは、ホームルームの先生の話が長かっただけだもん!」
「あー、はいはい。そうですかー」
「けーいぃ?」
怒った百合のカバン攻撃が始まる前に俺は駆け足になって先を行く。
「待ぁてぇー!」
それを百合はカバンを構えて追いかけてくる。大きくカラぶった百合の胸元がきらりと光った。振り返ってよく見れば、それは俺があげた猫のペンダントで。
「百合、それ、しててくれたんだ」
「え?あ、うん」
一瞬呆気にとられた百合は返事をして少しうつむく。その照れた仕種が可愛かった。
「大事にしてくれよな」
頷いて呟いた百合の言葉は俺には聴き取れなかったけど、こんな暖かな陽だまりのような時間が続くとわけもなく信じていた。


   

戻る

inserted by FC2 system