Case4:敬

教室の一番前の席。そんなところに座っていても、授業の内容なんて耳に入ってこない。俺の頭を占めるのは、この間のこと。
『でも、敬は百合ちゃんが僕とデートしてもいいと思ってるの? だって、敬は百合ちゃんのことが……』
『やめろ!』
恵は俺が百合を好きなことを知っている。だからなのかは知らないが、恵は百合から誘われてもデートをしようとしない。別に、断るわけじゃない。でも、断るよりもずっと性質は悪いかもしれない。
恵は、百合に誘われたデートに、俺を誘う。いいかげん、やめて欲しいと思う。だって、お前がはっきりしないから、百合の想いは空回りしてる。お前がはっきりしないから、百合は確かに傷つかない。でも、お前がはっきりしないから、百合はあきらめる事すらできない。
俺だって、百合が好きだ。別に、お前とくっついて欲しいわけじゃない。自分の想いをあきらめて欲しいわけじゃない。傷ついて欲しいわけじゃない。
でも、この状態は、あまりにも曖昧すぎるから。空回りしている百合を見ていたくない。だってこのままじゃ、俺の想いも空回りしつづける。傷つくことも、あきらめることもできないから。想いだけが空回りし続けるのは、ひどく、苦しい。ひどく、虚しい。だって、この状態では、あまりにも曖昧すぎる。

Case4:百合

二人っきりで。そう言うつもりだったのに。
『うん、できれば今度は邦画を見ようね。また、三人で』
言われた言葉は、『また、三人で』。本当は今回のことだって
「デート、のつもりだったのになぁ」
口に出して呟いてみる。ぽつり、と。誰も居ない図書室で、その呟きはたいして響くこともなく消えていった。ふっと、ため息をつく。恵は、いつも二人になることを避けている。それが何故だかは、私にはわからないけれど。
好きになったのは、私。誘うのは、私。恵は、断らない。でも、デートをしてくれない。いつだって、私たちは三人一緒。それは、恵のせい?それとも……
そっと胸元に手をやる。いつものように、そこには銀色の猫がいる。そう言えば、私、面と向かって恵に好きって伝えてない。デートしてくれないのは、だからだろうか。嫌われては、いないと思うけど…。恵って、他に好きな人、いるのかな?聞いてみたこと、ないな。私、恵ときちんと向き合ってなかったのかも。自分の想いを解かってもらうのに精一杯で、恵の想いをおろそかにしてたのかも。
二人よりも一時間早く終わった授業。誰もいない第二図書室は、ひどく静か。

Case4:恵

授業中だってのに窓ばかり見て、そして時折、ため息をつく。そんな憂い顔も素敵だよ。でも、こっちを向いて笑ってくれたなら、もっと素敵なのに……。
敬が考えているのは、きっと百合ちゃんのこと。淡い淡い恋心は今、ライバルの出現で風前のともし火だ。別に、好きでライバルになったわけじゃないけど。
でもね、君は気付いてないんだよ。僕たちは去年も同じクラスだった。君は気付いてないんだよ。だって、敬はいつだって百合ちゃんの方しか見てないから。あの日、百合ちゃんと第二図書室で出会ったのは偶然だった。でも、あの時声をかけたのは、百合ちゃんが敬の友人だと知っていたから。君たちが、一緒に帰っていくのを見ていたから。
僕はね、敬、君との繋がりが欲しくて百合ちゃんに近づいたんだ。もっとも、百合ちゃんが僕に好意を寄せてきたのは計算外だったけど。
だから、二人になるのはきっと無理。僕は臆病者だから、自分から二人になれるように働きかけるなんてできない。でも、他に好きな人がいるんだから、百合ちゃんと二人になることもできない。
一体、どこで間違えたんだろうね。百合ちゃんに声をかけたとき?百合ちゃんの好意が僕に向いていると敬が気付いたとき?それとも、僕が恋をしたとき?
この先は行き止まり。曖昧で中途半端で進展がない。でも、この状況を、僕は壊せない。

case4:トライアングル

朝は雲一つなくて気持ちいいくらいの青空だったのに、夕闇の迫る放課後にはどす黒く曇った空から雨が降ってきた。夏休みが終わって間もないこの時期、夕立は寝苦しい夜の気温を気持ちだけでも下げてくれるから大歓迎だ。
ただし、それは自分が傘を持っているとき限定だけど。
「うわぁ、降ってきちゃったね。私、今日は傘持ってきてないんだよね」
まずったなぁ、なんていいながら百合ちゃんが頭を掻く。
「恵、傘持ってる?」
「持ってるけど、さすがに二本は持ってきてないよ」
苦笑いして僕は手に持った折り畳み傘をかかげて見せる。
「そうだよねー。敬、傘持ってるかなー?」
百合ちゃんが言い終わらないうちにバシャバシャと水を跳ね上げてこちらへ駆けて来る足音が聞こえてきた。この様子では敬も傘を持っていそうにない。
「うわぁ、最悪だよ。俺、今日は傘もってないんだ」
言葉とともに、カバンを心ばかりの雨よけにした敬が屋根の下に走りこんでくる。
「敬はいっつも傘なんて持ってないでしょ!」
「うっさいな。余計なことは言わなくていいんだよ」
「さすがに一本に三人入るのは無理だよね」
「何だ、今日傘持って来てんの恵だけか」
言われて僕は頷く。
降りだしたばかりの夕立は勢いよく地面に当たっては飛び散っている。夏の日差しに焼かれたアスファルトが雨に濡れて煙を上げていた。飽和状態の湿気が制服を肌に張り付かせる。
「しばらく、雨宿りしようか。通り雨なら、直ぐにやむかもしれないし」
ぽつりと呟いた僕に、二人は無言で同意した。

「せっかく、傘があるんだから、百合と二人で使えばいい」
極力、百合には聞こえないようにして恵に言った。そんな俺に恵は困った様に笑った。どうして、そこで困った顔をする。百合はお前のことが好きだ。認めて、いれてやればいいじゃないか。
「もう少し、待ってみようよ」
言って恵は空を見上げる。何故、そんなに苦しそうな顔をする。付き合ってみてから決めてもいいじゃないか。それでお互い、合わないと感じることもあるだろうし、案外しっくりくることもあるだろう。お前が動かなかったら、俺たちはこのまま、ここから動けない。曖昧なまま、空回りしつづける。それとも、他に好きな奴でもいるんだろうか。そんな素振り、見たことないけど。
「やんでくれればいいのにな。そうしたら、一本しかない傘を使わなくてすむのに」
ぽつり、と恵が空に向かって呟いた。その呟きには、何か表には現れない切実な願いが込められているように感じた。一体何を、お前はそんなに恐れているんだ?
そこまで考えて、俺はため息をついた。百合の胸元にあの日の銀の猫が輝いているのを俺は知っている。それでも、俺が何も行動をおこせないのは嫌われるのを恐れているから。だって、この環境は最適ではないけれど、最悪でもなく、進まないからこそ安全で、変に居心地がいいから。結局のところ曖昧なまま、空回りさせ続けているのは、俺も同じなんだ。

やっぱり、恵は二人になることを避けている。たった一本しかない傘は恵の傘だ。だから、その傘をどう使うかは恵が決めること。
でも、気付いてしまった。敬に対して困った様に笑った恵がその実、泣きそうな顔をしていたことに。空を見上げるその背中が、ひどく苦しげであることに。恵はきっと、私の為に傘を差してくれることはないだろうことに。
『ねぇ、今度の日曜日、一緒に映画見に行かない?』
『うん、じゃあ、敬にも伝えておくね』
『また行きたいね。できれば今度は……』
『うん、できれば今度は邦画を見ようね。また、三人で』
本当はいつだって、あなたは私を見てはいなかった。私は恵にとって大好きな人と一緒にいる為の口実でしかなかった。気付いてしまった。気付きたくなかった。
外を見る。恵の背中越しに外を見る。土砂降りだった雨は小雨とまではいかないものの、だいぶ収まっていた。
「雨、少しやんできたね。このまま、濡れて帰ろうか。夏だし、きっと涼しくて気持ちいいよ。それに私、傘は嫌いだし」
傘は嫌い。それは優しい嘘。本当の気持ちを言えないあなたにあげる贈り物。
嫌なら、差さずに帰っていいんだよ。
傘は嫌い。それは残酷な事実。気付きたくなかったあなたの気持ちに、気付かされてしまったから。
もうこれ以上、夢は見られない。

雨に濡れながら並んで歩いた。
ぬるま湯のようなこの関係が、ひどく残酷で優しいものだと初めて気が付いた。
あなたのことが好きでした。今はまだ、言えないから。
あなたの恋が上手くいきますように。今はまだ、言えないから
せめて雨が上がるまで。もう少しだけ、このままで…。


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