「死者の世界は、まさに生者の為にある」

デスクでポツリと呟いた松田に、相沢が視線を向けた。昼休みに入った為、部屋は閑散として二人の他には誰もいなかった。

「なんだ、突然?」

言って相沢は腕を組んで上体を背もたれにもたせかけた。

「昔、竜崎が言ってたんですよ。『死者の世界は、まさに生者のためにある』って」

「受け売りか」

不満げな相沢の物言いに、松田が苦笑交じりに答える。

「そうなんですけど。僕、今でも時々思うんです。こんな時、月くんや竜崎なら、どんなふうに考えるんだろう、って」

呆れたような相沢のため息を気にもかけずに、上の空で松田が続ける。

「月くんが死んだ時にリュークが言ったじゃないですか、『人間が死んだ後に行くのはみんな同じ、無だ』って」

右手にボールペンを持ったまま頬杖つく松田の姿を見て、相沢は目をすがめた。捜査に関係のないことばかりをよく覚えている頭だ。どうせなら、その記憶力を事件解決に役立ててくれないものか。

「でも、それって寂しいと思うんですよね」

寂しいという言い分に相沢はあきれる。いかにも松田らしい感情論だ。

「前にね、竜崎と話したことがあるんですよ。幽霊って本当にいるんだろうかって」

一体なにをどうしたらLとそんな話になるのか疑問だったが、相沢はあえて口を挟むこともなく聞き流した。

「そうしたらあいつ、なんて言ったと思います?」

挑むように視線を向けられて、相沢は肩をすくめた。

「さあな。初代Lのことだ。いない、とでも答えたんじゃないか?」

相沢の答えに満足したのか、松田は腕を組んでうなずいて見せる。

「そう思うでしょう。でもね、あいつこう言ったんですよ」

——いると思いますよ。私は生きているので。

「生きてるから、いると思う? なんだかよくわからない理屈だな」

「でしょう? 僕も全然意味がわからなくて。でも、最近、なんだか竜崎の言ってた意味がわかるような気がするんですよね……。死んだ人間は無に帰る。それって合っていて、でも、間違ってると思うんですよ」

松田らしい矛盾した言葉に相沢は息を吐いて虚空を見上げた。矛盾しているから、馬鹿っぽく聞こえる。しかし、松田の言うことは極希に核心をつく。直感で理解しているから真実を把握しているのに、感じたことをそのままポンポン口に出すせいで他人に上手く説明できない時があるようだ。

相沢は、今回はその数少ない松田の勘が当たっている時のような気がした。あるいはLなら、こう言うのかもしれない。

「死んだ人間は無に帰る。それは確かに一面では真実かもしれませんが、別の角度から見れば、まったくの間違いですよ」と。

松田が竜崎とそんな話をするに至ったのは、南空ナオミの行方を探すのに行き詰まった時だった。

捜査本部の他のメンバーは聞き込みかなにかで出払っていて、松田だけが竜崎係(ようは体のいい雑用係)としてホテルに残っていた。

一人黙々と資料を捲る竜崎の隣で松田がぼやく。

「あーあ、見つかりませんねぇ」

大げさにため息をついて見せる松田をさっくりと無視して、竜崎はまた一ページ資料を捲った。そんな竜崎の態度にもめげることなく、松田は続ける。

「もし、本当に亡くなってるなら霊能力者に頼んで聞き込みとかできないんですか? ほら、テレビでよくやってる」

「無理でしょうね。FBIに協力したときにはそういった捜査もしましたが、日本ではサイコメトリーを使った捜査に証拠能力は認められていません」

にべもない答えに松田はため息をつく。

「それに、キラは遠隔操作で人を殺せるので被害者に事情を聴いても無意味でしょう」

「でも、レイ・ペンバーや南空ナオミはキラに直接会ってるかもしれないって言ったのは竜崎じゃないですか」

自分で言っておいて、と松田は口を尖らせる。

「しかし、ペンバーや南空は、捜査員ですから」

言って竜崎はあきれるほど砂糖を入れた紅茶を口に運ぶ。その口唇がわずかに弧を描いているように見えたのは、たぶん松田の見間違いではない。松田は柔らかな竜崎の表情を不思議に思った。

「それって、どういうことですか?」

「地上をさまよう魂は未練があるからこちらに留まっているんです。ペンバーや南空は死を覚悟の上で仕事をしていましたから、こちらに留まることはありません」

柔らかい、慈愛に満ちたとさえ言えそうな竜崎の表情に松田は目をしばたいた。

「竜崎でも、そんな風に考えるんですね……」

思わず呟いた松田に竜崎はあからさまに眉をひそめてみせる。

「意外ですか?」

「ええ、まぁ。竜崎って物質主義っていうか、現実主義者っぽいですから。幽霊とか、死後の世界って一切信じてなさそうで」

松田の明け透けな返答に竜崎は口元だけで笑う。

「私にも人生哲学くらいあります。松田さんは、私とワタリ、どちらが先に死ぬと思いますか?」

「えっ、そりゃあ、順当にいけばワタリじゃないですか」

これって正直に言っていいのかな、と頭をかきながら松田が答えた。

「そうですよね。たぶん、私よりも早く彼は死ぬ。死は情け容赦なく彼から肉体を奪い、思考を奪い、意識を奪い、全てを無に帰す。その時、ワタリは無になる。でも、私にとっては違います」

「違うんですか」

ぱちぱちと、松田がまばたきする。

「違いますね。死後の世界があるのか、それともないのかなんて、議論したって無駄なんです。誰も死んだ後のことなんて知りえないんですから」

それはそうだと、松田は頷く。臨死体験なんて話があるけれども、その人は実際には死んだわけではない。だからこそ、体験談を聞けるのだし、そこで起こったことや降霊術といったものの真偽を確認することは不可能だ。真実かもしれないが、すべては脳が創りだした一種の幻覚、夢のようなものかもしれない。

「死者の世界は、まさしく生者の為にあります。死んだ人間がどうこうではなく、生きてる人間がどう考えるか。どう考えるのが生きやすいのか」

言いながら竜崎はティーカップをテーブルに戻す。かわりに個包装のチョコを摘む。

「死は貴賤を問わず全ての者に平等に訪れる。でも、その後にはその者に相応しい居場所が与えられる。天に徳を積めば、報いがある」

竜崎の長い指が神経質そうにチョコの包装をつまんで剥ぐ。ふわりとカカオの香りが広がった。

「それは単に私がそう思っているだけで、実際は違うかもしれません。しかし、実際なんてどうでもいいんです。死者はなにも語りません」

パクリ、と竜崎がチョコを口に入れる。

「私はまだ生きていますから、死後の世界を信じているんです」

もごもごとチョコレートを咀嚼しながら明るい声で言う竜崎に、松田は気まずそうに頭をかいた。

「なんだか、僕にはよく……」

「要するに、ワタリが死んだら実際はどうであれ、天国から私のことを見守っていてくれるだろう、と私が勝手に思ってるってことです」

歯切れの悪い松田の言葉に気を悪くしたふうもなく、竜崎は言い直した。

「ああ、それならわかります。死んだらお終いなんて寂しいですもんね」

「だから、寂しくないように勝手に考えるんですよ。生きてる者の特権です」

「特権ですか」

わかったような、わからないような気分で松田が相槌を打つ。

「はい。死者の世界は生者の為のものですから」

にこりと笑った竜崎の横顔を、不思議なものを見るかのように、ジッと凝視してしまったことを覚えている。

「松田?」

一人もの思いに沈んでいた松田を相沢の声が現実に引き戻した。訝しげな上司の視線から逃れるのに松田は、あははとごまかし笑いをした。

「最近思うんですよ、死んだ後、月くんは局長に一発殴られて、竜崎には蹴られて。でも、本当にちゃんと後悔して、あの世で案外、楽しくやってるんじゃないかって」

なにしろあっちには、局長もミサミサも高田さんも、竜崎もワタリもいるし。

苦笑しながら松田が口に上せる名前に、相沢は失ったものの大きさを思わずにはいられない。

「夢物語だな」

その一言で相沢は松田の都合のいい想像を切って捨てる。第一、

「死神が言ってただろう。死んだ人間が逝くところは無だ」

「確かめられない本当のことなんて、どうでもいいんです。勝手に思いこむのは、生きてる僕らの特権です」

特権なんです、ともう一度呟いて、松田は詮ない想像の話を続ける。

そこでは月くんは改心して殺した相手に挨拶まわりをしたり、初代Lとはヨツバキラを追っていた時のようないいコンビで、メロとはニアの悪口で盛り上がり、弥と高田は月くんを取り合い、夜神次長と初代ワタリは茶飲み友達だ。

生き生きと語ってみせる松田の話を半ば聞き流しながら、相沢はなんとなく室内に視線をさまよわせる。まだ表紙しか捲っていないカレンダーが目に入って、そろそろ一月のページも捲る時期だな、と考える。

今日が何曜日だったか確かめようとして、相沢はなぜ松田が唐突に死後の話などし始めたのか合点がいった。

——ああ、今日は二十八日か……。

「そうしたら、きっと月くんは……」

松田が描き出すあの世は相変わらず楽しそうで、ボソボソと菓子クズをこぼす初代Lを初代ワタリと月くんが結託して諌めているところだった。松田はご丁寧にも、その背後でオロオロする夜神次長まで描写してみせる。

馬鹿馬鹿しいと思いながらも、心のどこか隅の方で本当にそうなっていればいいと望んでいる自分を見つけて、相沢は苦笑を漏らした。

いい加減、松田の無駄なお喋りを一喝して終わらせなければならないだろう。しかし、相沢はもう少しだけ、松田が話す楽しそうな彼らの様子を聞いていたいようにも思った。

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