『スパルタ婚活術』読書会 感想
『スパルタ婚活術』の読書会に参加してきた。せっかくなので、水野敬也氏の『LOVE理論』『スパルタ婚活術』の感想を書いておく。
と言うのも、他の参加者の感想を読んで、私の吹けば飛ぶような「楽しかった」というだけの感想では申し訳ないし、もったいないと思ったためだ。
書いてみて思ったのだが、これは本を読み終わった直後の「自分だけの感想」と読書会後の「他人の視点に触れた後の感想」を残しておくと面白い気がする。
視野が広がる面白さもそうだが、私の場合は、やはり「言葉にして口に出す」アウトプットをしてしまうと、「文章にして残す」アウトプットがしづらくなる。
そのため、以下はあくまでも読書会に参加しての感想だ。なお、引用は全て『スパルタ婚活術』からである。
・やって見せ、言って聞かせて、させてみて、誉めてやらねば、人は動かじ
山本五十六の言葉である。彼がどんな人物で、どんな功績を残したのか、私は知らない。なぜなら、この言葉は、従兄弟の家のトイレに貼ってあった言葉だからだ。だが、トイレに貼ってあろうが、2chのコピペだろうが、真実を突いた良い言葉であることには変わらない。
『LOVE理論』『スパルタ婚活術』は恋愛指南書(マニュアル)である。指南書である以上、作者は読み終わった読者に、「本に書いたことを実行させること」を目標に執筆している。そして、「読者に実行させるため」に著者である水野は、上記の山本五十六の言葉を実践している。
・自アゲの達人、愛也
『LOVE理論』『スパルタ婚活術』には、いたる所に下ネタと水野の「俺はモテモテなんだぞ」「この本に書いてあることは人類の英知だ」的なギャグが盛り込まれている。
しかし、随所に出てくる『地球上に存在するすべての恋愛理論をマスターした俺にとって、自分好みの熟女を惚れさせるなど赤子の手をひねるようなものだ』のような、どこまで本気なんだか解らないギャグを笑って読み流してはいけない。これは、愛也による自アゲの実践である。
つまり、婚活女子にとって、もっとも困難(実際、多くの女性陣が自アゲはハードルが高い、と漏らしていた)で、同性間では見本を見る機会が少ない「自アゲ」のコミュニケーションを愛也が率先して「やって見せ」ているのである。読者は心せよ、「自アゲの見本は水野愛也である」と。
水野愛也は、この大げさな自アゲの実践で読書会に参加した一人の女性のハートを射止めている。また、「過剰さ」が伝わり笑いの取れる「冗談」である限り、自虐だろうが、自アゲだろうが、人から嫌われることは少ない。どうせなら、異性からも好感度が上がる自アゲを水野愛也を見習って練習しようじゃないか。
・俺がこれだけやったんだから、お前もやれ
水野愛也は物事を大げさに言い立てる自アゲ表現の使い手である。故に、その話がどこまで本当かは、よく眉につばを付けて判断すべきだ。けれども、おそらく、彼が高校時代に非モテで大学の時にモテるために血の滲むような努力をしたのは本当だろう。少なくとも、「本当のことなのだろうと読者に思わせる程度の真実味」はある。
ことあるごとに出てくるこれらのエピソードも、山本五十六の「やって見せ」である。「ここまでやるのは、とてもできない」と思うエピソードの方が多い。しかし、だからこそ「パンツ一枚でペットボトルコーラの一気飲みはできないけれど、せめて着ていく洋服を変えてみるくらいはしようかな」と思わされるはずだ。
人が懸命に努力する姿というのは、たとえ目の前で行われていなくても、文章で表現されているだけでも、人を動かす。
・人は変われる
さて、「やって見せ」の実践が『LOVE理論』『スパルタ婚活術』で行われていることは説明した。
「言って聞かせて」の部分は、恋愛指南本である以上、全編が「言って聞かせて」であることは、ことさら説明しなくてもご了解いただけることと思う。
「させてみて」の部分は、本である以上、読者が実際にやってみるかどうかにかかっている。愛也は「コミュニケーションは実践でしか鍛えられない」などの言葉で、実践することを口を酸っぱくして言い立てている。
「させてみて」と同様に難しいのは、「誉めてやらねば」の部分である。本を読んで実践した読者を誉めることは作者には困難である。
そこで変わって提示されているのが「人は変われる」というメッセージである。
もしお前が本気で本書を実践するのなら、今まで経験したことのないような苦しみを味わうことになるだろう。
しかし、俺は、お前にその覚悟を求めたい。
なぜなら、人は「自分を必ず成長させる」と覚悟を決めることで、最初の頃には想像もできなかったような変化を手にすることができるからだ。
そして、魅力的になったお前が理想のパートナーを手に入れたとき――恋愛という分野だけではなく、現実世界そのものへの見方が変化していることに気づくだろう。「現実」とは動かし難いものではなく、その気になれば驚くほど変化させられるものだということに。
人は変われる。けれども、変わることは苦しいことだ。それは生まれ変わるような苦しみだ。一度、死を経験しないことには、人は生まれ変わることができない。だが、苦しかろうと辛かろうと、人は変われる。変われるのである。生きていく上で、これほどの希望があるだろうか。
生まれ変わりに際して、私は自分の無意識とよく相談する事をおすすめする。自分の無意識と仲良しなら、心理的な死はずっと御しやすくなる。そのためには、本を読み、自分の中に深く潜って考えることだ。多くのファンタジーや冒険小説において表現される異世界探訪は、生まれ変わるための象徴的な死の具象化である。それらを知り、考察することは、無意識の力を上手く借りるための手助けになる。
そして、生まれ変わりの苦しみの先には、まさに「生まれ変わったような心地」が待っている。
悩みは感動の種である。
(中略)
何も与えられていないということは、感動の余地を与えられているということだ。
それは、この現実における、偉大なる真実だ。
だから、おせっかいだと言われようと、ほっといてくれと言われようと、変な夢を見させないでくれと言われようとも、俺は、どうしても言わなければならない。苦しみや悩みの向こうには、闇の深さに支えられたとてつもない感動が待っているということを。
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