読み終わって「素晴らしい作品だった」と思うのに感想が上手く出てこないのは、あなたのせいじゃないかもしれない、という話

・感想を書くのって難しい

 小説を含む物語作品全般に言えることだと思うのですが、感想ってなかなか言えません。わかりやすく系統立てて「自分の感じたこと」を整理し、ましてや、それを他人に伝わるように説明することには相応の高い技術が必要とされます。だから、世の中には「評論家」という人達がいるわけです。

 なんでそういうことが起こるかって言うと、(私にとって)小説っていうのは「言葉で表現できないことを、言葉で表現しようとする試み」だからです。言葉で表現できないことを表現しようとしているんだから、上手く読者に伝わったとしても、(「良かった」「良くなかった」「好きだ」「嫌いだ」「面白い」「つまらない」などの一言以上の)言葉にできないのは当然なのです。

・言葉で表現できないことを、言葉で表現しようとする試み

 端的な言葉にすると矛盾しているように聞こえますが、言葉って基本的に包括的な概念だから、少ない言葉で説明すると具体性が抜け落ちるんですよ。

 たとえば「北欧神話が好き」って言葉には、北欧神話のどんなところが好きなのか、具体性がないじゃないですか。ロキが好きとか、世界観のこういうところが好きとか、全部抜け落ちちゃってるじゃないですか。

 まず、「ここが好きなの!」という総体が自分の中にあって、それをなんとか一部でも表現しようとして書いたのが『戦と災厄の運び手』なわけです。二十万字近く書いたのに、それでも(あえて書かなかった部分も含めて)書ききれなかった部分があります。ロカセナ(『ロキの口論』)なんて、ロキ好きとしては外せないエピソードですが、登場人物(神様)を少なく抑えた結果、『戦と災厄の運び手』でやっても効果的でないため、書いてませんからね。時系列的にも、どこに入れればいいのか解らないし。

 そんな書き漏らしがあっても、小説を読み切ってくれた人にはこの小説のロキのキャラはこんな感じとか、この小説の世界観はこんな感じって言うのが伝わっていて、おまけに、少なからず良いと思ってくれているはずなんですよ。なぜなら、この小説は合わない、つまらない、と思った人は最後まで読むことがないから。

 私の伝えたいことって、私の好きなロキはこんな感じ、こういう世界観でもこんな生き方をしたいとか、そういうちょっとふわっとしたイメージであって、それって上手く伝わったとしても、ふわっとしてるから、受け取った方でもふわっとしていて言葉にならないんですよね。

 極稀に、このふわっとしたものを的確に言語化できる人もいて、そういう人が同人界隈に降臨するといわゆる感想神になり、文壇とか映画業界とかのプロ集団に降臨すると評論家になるわけです。

・好きなものほど言葉にならない

 嫌いなものの嫌いな所って、ピンポイントで数が少ないから、嫌いな理由を述べるのって実はそんなに難しくありません。

 でも、好きなものの好きな所って沢山ありすぎて数が多いから、好きな理由を述べるのは実はとっても難しい。それこそ、全部好きですとか、好きなものは好きなんだからしょうがないとか、あるいは何万字もかけて事細かに具体例を上げていくことになります。

 実際、うちのサイトの批評系コンテンツがほぼ批判系で埋まっているのは、批判系のほうが書きやすいのと何か言いたくなるという、アウトプットに向かわせる力が強いからなんですよね。そういう意味では、私に好きで語らせた『アナと雪の女王』と実写版『ちはやふる』は凄いコンテンツです。頭一つ抜きん出ています。

 でも、嫌いっていうのも突き詰めていくと、「これは嫌い。ということは、逆は好き」という好き発見器になるから侮れません。たとえば、『君の名は。』の記事を書いた時には、同じ情動系の作品である『キャッツ』や『オペラ座の怪人』と引き比べることで、自分にとって物語作品を好きになるには「曲が好き」というだけでは不十分で、「キャラクターの感情の流れに筋が通っていて、最低限物語が破綻していないこと」という別の基準があることが確認できました。

 閑話休題。

 私にとって終わってじーんとくる物語は、大抵うまく言葉になりません。『星の王子さま』の「大切なものは目に見えない」ではありませんが、「大切なものは言葉にならない」のです。

 しかし、言葉にならないからこそ、心に深く根を張るものだとも思います。

 実際、脳科学の実験で、被験者に写真を見せて「A被写体の特徴を言葉で説明してもらうグループ」と「B何もしないグループ」に分け、後日、見せた写真をどれだけ覚えているかを調べた結果、「B何もしないグループ」の方が記憶がよく残っているという例もあります(言語隠蔽効果『自分では気づかない、ココロの盲点』著:池谷裕二)。

 だから、人は無意識にいいもの、記憶に残しておきたいものを、「言葉にしない」という選択をしているのかもしません。

・結論

 自分が感想が書くことが苦手な理由を、私は上記のように考えています。実際、『ウォルト・ディズニーの約束(原題:Saving Mr.Banks)』なんて、凄くいい映画で、これからも何度も見直すだろうなと思ってますけど、感想を訊かれたら「凄くいい映画ですから、ぜひ観てください」ってしか出てきませんからね、私。

 素晴らしい物語に触れた時に「よかった」以上の感想が浮かばなくても、どうか落ち込まないでください。元々、物語から伝わってくるふわっとしたイメージは言語化しにくいものですし、伝わってきたものを大切だと思うほど、言葉にすることは難しくなるのですから。

 ちなみに、創作する側としては、谷山浩子さんの『きみの時計がここにあるよ』(アルバム『月光シアター』収録)を聴いて、自分の作品にもこの曲の「僕」みたいに思ってくれている人がきっといる、と思うと凄く元気が出てきます。

 あと、RADWINPSの『トアルハルノヒ』(アルバム『人間開花』収録)もオススメです!

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