リクは不思議な塔の扉へ続く短い階段に座り、星空を見上げていた。無数にきらめく星は、その光の中に、それぞれの世界を抱いている。
「キーブレードマスターになったんだって、リク?」

思いがけずに声をかけられて、え、と振り返れば、塔から出てきたカイリがニコリと微笑んでいた。そのままリクの隣に腰を下ろす。
「イェン・シッド様に聞いたよ。おめでとう」
「ああ……。ありがとう」

頷いて、とりあえず礼を言ったリクは、次にどうすべきか分からなくなって、また空を見上げた。マスターとして承認されてから間もないせいか、まだ実感を持てずにいる。

——本当に、自分がなっていいのだろうか。
「なんかリク、変わったね」
「……そうか?」
「うん。あたしさ、前にもそう思ったことある」

ふふふ、とカイリは笑い声を漏らした。懐かしそうに目を細めて、空を見上げる。
「前にも?」
「そう。あたしたちが島を出る直前」

カイリの声は何の含みもない明るいものだったけれど、どうにもいたたまれなくてリクは俯いた。
「……ごめん」
「謝らないで」

いつになく強い調子で返されて、おずおずとカイリへ顔を向ける。カイリは先ほどと変わらず、星を見上げていた。
「あの時、あたしの心はソラと一緒にいたけど、あたしの体はリクが守ってくれてたから。あたしは、リクが頑張ってくれてたこと知ってるよ」
「だけど、けっきょく守ってやれなかったし、そもそも、ああなった原因は俺にあって……」
「あたしがあの時、リクが変わったって思ったのはね」

リクの沈んだ声を遮って、カイリは話を元に戻した。
「リクが、あたしたちを置いて行きそうだと思ったから」

カイリの言葉に、リクは小さく息を飲んだ。思い当たるふしがあった。あの頃、自分はとにかく島を出て外の世界に行きたかった。たぶん、ソラとカイリが嫌だと言えば、一人だけでも島を出ようとしていただろう。

強くなりたかった。いつだって、願っていた。

この小さな世界の外に大きな世界がある。
いずれ選ばれしものとして、この小さな世界を出て——

「あたし、不安だったの。リクにはもう、あたしたちは必要ないのかなって。でも、それは勘違いだったみたい」

本当に? リクは自問する。本当にそれは、単なるカイリの勘違いだろうか。どうしてあの時、自分はあれほどまでに強さを渇望していたのだろうか。自ら闇を呼び寄せる程に。

冷たい汗が一筋、リクの背中を流れ落ちていった。
「今は?」

リクは唇が震えないよう、慎重に声を出した。
「え?」

カイリが目を瞬いて、振り返った。
「俺は、どう変わった?」
「んー、そうだなぁ。前はね、ソラとなんでも張り合ってたでしょ。剣の腕に、ビーチレースに、いっつもリクが勝ってさ。それが当然だって顔してた」

リクは黙って頷いた。何も考えずに白い浜辺を走り回っていたあの頃が、ずいぶん遠く感じられる。
「今は、ソラより先にキーブレードマスターになって、不安そうな顔してる」

カイリに顔を覗きこまれて、リクは苦笑した。自分は感情があまり表情に出ない、なんて言われることが多いが、大抵の場合、カイリとソラにはバレバレだったりする。

あの頃、自分は島を出て、強くなりたかった。どうしてだろう。今は、力を持つことを恐れている。

本当の広い世界と——

島を出て、会いに行きたかった。幼い頃に約束した、あの青年に。
「カイリは島に来る前のこと、覚えてるか?」
「覚えてないって、何度も言ったでしょ」
「俺はさ、カイリが島に来る前のことで、覚えてることがあるんだ」

強くなりたい、と願いを語った幼い日のこと。その日のことを思い出す度に、胸の奥がほわんと暖かくなるように感じて、リクの口角は自然と弧を描いた。それは、強さを恐れるようになった今でも変わらなかった。
「どんなこと?」

少し間が開いてから、カイリが尋ねた。
「島に知らない青年が来て、少し話した。外の世界のこと。いつか俺に、本当の広い世界を教えてくれるって。ずっと忘れてたんだけど、最近になって凄く、気になるようになって」
「そっか。だからリクは、外に行きたがったのね」

納得したように頷くカイリに、リクは笑って肩をすくめた。
「本当は話しちゃいけないんだ。魔法が解けてしまうから」
「あたしもね、あるよ。魔法かけてもらったこと」
「へぇ」
「あたしを守ってくれたお姉さんがね、いつかあたしを闇から守ってくれる光の元へ、導いてくれるようにって。魔法をかけてくれたの」

言いながらカイリは、首に下げた白いペンダントを握りしめた。
「その魔法は効いたのか?」
「もちろん。だから、あたし、デスティニーアイランドで育ったんだよ」

とん、と跳ねるようにカイリが立ち上がり、空を指さした。
「見て!」

星々の間に輝く鍵穴が現れ、まばゆい光を発していた。リクが手をかざして目を細めると、キーブレードを握りしめたソラが降ってきた。
「ただいま!」
「おかえり、ソラ!」

笑顔で応えたカイリに、ソラも笑顔で返す。
「カイリ! どうして、ここにいるんだ?」
「イェン・シッド様が会っておきたいって仰ったから、来てもらったんだ。おかえり、ソラ」
「ただいま、リク」

リクにも笑顔を向けて、ソラが手の中のキーブレードをしまう。
「ね! あたしの魔法は、あたしを闇から守ってくれる光の元へ、ソラとリクのところに、ちゃんと導いてくれたよ」

くるり、と赤毛を揺らして、カイリが軽やかに振り返った。
「だから、リクがかけてもらった魔法も、きっと効くよ!」

カイリの輝くような笑顔に、リクは眩しげに目を細めた。
「ああ、そうかもな」
「なになに? なんの話?」

話についていけずに首を傾げるソラに、カイリは人差し指を唇に当てて言った。
「なーいしょ!」
「なんだよ、教えろよ〜」

楽しげな笑い声を上げるカイリを唇を尖らせたソラが追いかける。
「あたしとリクだけの秘密だもん」
「えー! ズルいぞ、カイリ!」
「ないしょなんだってば!」

二人のやり取りが、リクには、なぜかとても懐かしく感じられた。前にも、こんなやり取りをしたことがある。夕暮れ時のあの島で、たぶん、その時はソラと自分だった。

君にその資格があるのなら——
いずれ選ばれしものとして、この小さな世界を出て——
俺の元へたどり着くだろう。

胸の奥で響いた声に、リクは目を見開いた。

ああ、そうだった。

その時こそ——
本当の広い世界と——

あの約束には、続きがあって——



愛する者を守る力を教えよう。



——だからこそ俺は、強くなりたいと、あの青年に会いたいと、願ったんだ。

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