王子様の銅像は、町の高い高い台の上にそびえていました。
<幸福の王子>
人々はそう呼んで見上げました。
王子の一生はたいそう幸せでした。亡くなってから立てられたその銅像も、純金の箔で全身を包み飾られ、目にはキラキラとサファイヤが輝き、剣の柄には真紅のルビーがはめ込まれ、朝に夕に、また月明かりにも幸せそうに輝いていました。
それでも月日は流れ、王子は少しずつ少しずつ、くすんでいっていました。

ある夕暮れ、一羽のツバメがこの町に飛んできました。寒い冬を暖かい南の国で過ごすために長い旅に出るところです。
ツバメは今夜の寝床にしようと王子の足元に降り立って身を寄せました。そうして、いざ眠ろうと目をつぶると、ぽつんぽつんと冷たい雨粒が頭の上に落ちてきました。ツバメはびっくりして、慌てて目をあけて空を見上げました。しかし、それは雨粒ではありませんでした。王子の流した涙だったのです。
ツバメはちょっと怒って、王子に文句を言いました。
「ねぇ、きみ。僕は雨露がしのげるだろうって、きみの足元にやってきたんだよ。それなのに、どうしてきみは涙なんか流して僕を濡らすんだい?」
すると、王子は、すまなそうに答えました。
「ああ、きみ、悪いな。でも、ここから見える世の中が悲しくて、泣かずにはいられないんだ。なぁ、ずっと向こうの小さな家が見えるか? あそこの母親は、熱病で苦しんでいる。それで、彼女の小さな息子は、『お母さんにオレンジを食べさせてあげたい』と思ってるんだ。だけど、家は貧しくて日々の生活にも困ってる。ねぇ、きみ。夜が明けたら、あの家の男の子を、ここに連れてきてくれないか」
ツバメは遠くに見える窓の明かりをぼんやりと眺めやりました。暗闇に霞む目に、かすかにオレンジ色の明かりが点々と灯っているのが見えました。ふあ、と一つ小さくあくびをすると、ツバメは「今は暗いから明日になったらだよ」と、王子に返事をしました。そして、王子の足元で羽をゆすって静かに目を閉じました。

翌日、ツバメは約束どおり王子の下に男の子を連れてやってきました。
でも、男の子は母親のことが心配で、気が気ではありません。そわそわと落ち着きのない男の子に王子は少し笑って言いました。
「きみ、お母さんにオレンジを食べさせてやりたいんだろう?」
男の子は黙ってうなずきました。
「きみのお母さんが元気になったら、雑巾とバケツを持ってまたここに来てくれ。約束が守れるなら、俺の金箔を少し分けてやってもいいぜ」
男の子は、どうして王子がそんな条件を出すのか不思議に思いました。けれども、どうしてもお母さんにオレンジを食べさせてあげたかったので、しばらく考えてもう一度うなずきました。
そうして、「あんまり目立たないところから剥がしとってくれよな」という王子の言葉に従って、金箔を少し剥がしました。男の子はそれでオレンジを買うと、大急ぎでお母さんのところへと帰っていきます。
その様子を見ながら、ツバメはひらり、と少しくすんだ王子の肩に止まりました。そして、怪しいものを見るようにして王子に尋ねます。
「ねぇ、きみは一体何を考えているんだい?」
王子は少し意地悪そうに笑って「春になったらわかるよ」とだけ答えました。
「さぁ、きみにはもう一つ頼みたいことがあるんだ。きいてくれるかい?」
ツバメは肩をすくめて言いました。
「旅立ちに間に合うならね」
王子はまた笑ってツバメに話し始めます。
「俺って、とっても素敵だと思わないか? 輝くサファイヤの眼、全身金箔張りの豪華なつくり……」
ツバメは最初こそ楽しげに王子の自慢話を聞いていました。けれども、次から次へと出てきては、延々と続く王子の自慢話に、ほとほと呆れかえってしまいました。そして、とうとういつ終わるとも知れない話をさえぎってききました。
「それで、きみは一体どうして欲しいのさ?」
「もちろん、きみがこれから立ち寄る町々で俺の話をしてきて欲しいのさ。この町には、世にも珍しい、立派な像が建っているってね」
ツバメは王子の自慢癖に呆れて、がっくりと肩を落としてしまいました。でも、王子のする自慢話は聞いていてそれなりに面白かったので、「まぁそれくらいなら……」と承知して、南の国へと飛び立っていきました。

そして三日後、王子の下にあの男の子がやってきました。手には、約束どおり雑巾とバケツを持っています。
「この間は、ありがとう。おかげでお薬が買えて、母さんはすっかり元気になったよ! それで、僕はどうしたらいいの?」
「その雑巾とバケツで、俺のことをピカピカに磨き上げてくれ!」
男の子はうなずくと雑巾で王子の体を磨き始めました。夕暮れ時になると、王子はまた金箔をちょっぴり剥がしてもらって、男の子はそれでパンを買って帰ります。
そうして、二人は毎日を過ごすようになりました。
男の子が体を磨く間、王子はやっぱり自慢話をしていました。王子の話が面白くて男の子はクスクス笑います。そうすると王子は、ますます自慢話に花を咲かせるのでした。
絢爛豪華な王宮のこと、すばらしい王様のこと、美しい王妃様のこと、自分がどんなにかっこいいか、また戦いでどんな手柄を立てたかなど、王子の自慢話はつきません。
そうして一ヶ月が過ぎた頃、町には南の方からの旅人が増えてきました。
そうです。旅人たちは、あのツバメに自慢話の好きな美しい王子の噂を聞いて一目見てやろうとやってきた人たちです。
町の広場で人々はピカピカに磨き上げられた王子の像を見て、みんな目を見張りました。こんなに美しい像は自分たちの町にはありません。いいえ、きっと世界中を探しても、ここだけでしょう。
王子はぽかんと口を開けて見上げる人々を見て、自慢げに男の子に言いました。
「ほらな、俺はとってもカッコイイだろう?」
「僕がピカピカに磨いてあげてるからでしょう?」
「もちろん、きみのおかげさ!」
男の子は、やっぱりクスクス笑いました。

やがて春が来て、あのツバメが帰ってきました。
すっかりきれいになった王子の肩に止まって、ツバメは広場を眺めました。周りには人、人、人の大行列です。よく見ると、あの男の子が旅人たちの解説役を買って出ている様子も見えました。
「やぁ、ずいぶん人気者になったね!」
「もちろん、きみがあちこちの町で俺のことをふれ回ってくれたおかげさ!」
王子の言葉にツバメは少しびっくりして言いました。
「それじゃあ、また南の国へ行くときは、違う町を通ってきみの自慢をして歩かなきゃ!」
「ああ、是非ともそうしてくれ!」
こうして町は、あちこちから王子を見に来る旅人たちで賑わい、段々と豊かになっていきました。
今日も王子は、朝に夕に、また月明かりにも幸せそうに輝いています。
「ほらな、やっぱり俺はとってもカッコイイだろう?」
「僕がピカピカに磨いてあげてるからでしょう?」
「もちろん、きみのおかげさ!」
今日も世界中から<幸福の王子>を見上げに、人々が集まってきます。



『日本語はなぜ美しいか』という黒川伊保子著の本のあとがきに感化されて書いたもの
以前、某巨大掲示板に投下して空気嫁、氏ねとお叱りを受けたのも今はいい思い出w

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