マインドマップ詳細

 要望があったので追記します。最後の方で余計な創作論まで語ってしまった。楽しかったです。

マインドマップについて

 『マインドマップ』って商標登録されてるんですねぇ。知らなかった。

 数年前、確か速読系のハウツー本にハマっていた頃に読んだ本に書いてあった方法です。書名は覚えていないのですが、紹介されていた方法はマインドマップで合ってるはずです。

 方法は私がやりやすいように独自進化している(要はうろ覚えで使っている)ので、正式な方法を知りたい方はトニー・ブザン(Tony Buzan)氏の書籍なり、何なりを読んでみてください。ちなみにWikipediaはこちら。

 しかし、商標登録されていると思うとマインドマップって書きづらいな。まして、正しいやり方では無いことを自覚しているから。ということで、以下ではほぼ同じ方法で商標登録されていない「メモリーツリー」に言い換えて紹介します。

 んでは、詳しい方法いってみよー!

メモリーツリー完成図

メモリーツリー完成図版
クリックで拡大。右半分、左半分上側、左半分下側、といくつかのツリーになっています。

 見よ、この汚らしい字を! とても読めたものではないであろう! どうだ、恐れいったか!

 すみません、記事を読んでくれた方がいた嬉しさと、汚い字を晒すことの恥ずかしさで、ちょっとテンションがおかしいです。

 今回はやり方の説明なので、読めなくても問題ないはずです。まあ、読みたい方は頑張って解読してみてください。話の続きがどうなるのか書いてあったりします。

 この図から千月がどうやって小説を書いているのかは、私もよくわかりません。それはユングの言う『無意識の領域』の仕事だから。もしも解明できたら、心理学の権威になれるかもしれませんよ。まあ、何はともあれ、メモリーツリーの作り方です。

 千月流メモリーツリーは三つの部品で出来ています。実と枝、それから文字です。説明のために、たった今考えました。

 実というのは、上の図で丸で囲んである部分です。枝というのは、実同士を繋いでいる線のことです。文字は文字通り、文字のことです。実の内部や枝に書き添えます。

メモリーツリーの手順

1.中心にテーマとなる実を作る

 ノートでもプリント用紙でも、テストの裏でもいいので白い紙の真ん中に、考えるテーマの中心を書き丸で囲みます(上図右半分中心あたりの『ロキ拘束』がコレ)。罫線入りのノートを使う場合は罫線を無視して書いて下さい。これが実です。

2. 1.で書いた『実』から連想される単語、出来事、人物、理由などを書き加える

 例えば、出来事や人物を実から少し離した場所に書き、丸で囲んで2つ目の実を作ります。作った実は最初の実と関連しているはずなので、線で繋ぎましょう。この線が枝です。

 また、理由や行為を思いついた場合には実から線を引き、線のそばに理由や行為を書き添えます。これも枝です。枝だけで枝分かれしていっても良いですし、枝の先に実を書いても構いません。

 書くことを実にするか、枝にするかは自由です。書いた方が正解です。手が動くままに書きましょう。

3.書いた枝や実に対して、2.を繰り返す

 先ほど書いた実や枝から連想される実や枝を更に書き込んでいきます。ルールは特にありません。前に書いた実や枝から続けて書いていってもいいですし、中心の実から思いつくことを一先ず全て書いてしまってから広げていっても構いません。コツは制限を設けないことです。

 続けていくうちに関連しない出来事や人物も思いつくはずです。その場合は他の実や枝のまとまりから離して書きます。無理に枝で関連付ける必要はありません。後から関連性が見えてきたら、枝で繋いであげましょう。

4.適当なところで切り上げる

 もう十分、そろそろ飽きたなぁ、と感じられたらおしまいです。お疲れ様でした。実際にやってみるとわかると思うのですが、顕在意識では考えていなかったことまで紙の上に現れてくるので、意外と有用です。

忘れることの重要性――物語を作るのは『無意識』である、ということ

 もし、メモリーツリーを作ってみて、新たな物語の構想が湯水の如く湧き出してきたのなら、そのまま執筆活動に戻って構いません。しかし、そうではない場合も多いはずです。

 その場合はメモリーツリーを作ったら、二、三日メモリーツリーを眺めながら物語を整理して、その後はメモリーツリーを机の引き出しの奥深くに閉まって、忘れてしまいましょう。

 ええっと、世の小説家の大先生方(とくにプロットをみっちり作って面白い話を作られるタイプの方)に怒られてしまいそうなんですが、大先生方はこんな拙い小説サイトに来てるわけないので、思い切って言います。物語の『核心部分』に関しては、考えたって無駄だ!

 そこから先は、理性や顕在意識の仕事ではありません。無意識の仕事です。無意識は意識に上らない場所で、今までの経験や知識から膨大な演算処理を行い、最後に単語やイメージを顕在意識に投げ返してくれます。これをするためには、いつまでも問題を「意識して」いてはいけません。

 もちろん、物語の続きを考えたり、登場人物の普段の様子を想像することは続けて構いません。けれども、メモリーツリーで考えたことは一旦忘れてください。その部分は考えたって、どうせ役に立ちません。

 鷹揚な気持ちで、一週間くらい筆を進めずに休みましょう。今まで書いた分に目を通して、誤字脱字の修正や情報の過不足を確認するものいいでしょう。そうこうしているうちに、次のシーンに必要な目的や読者に知らせておくべき情報がひらめくはずです。

ここからは、ちょっと横道。

 私は河合隼雄氏のファンなので、こんなことを言うのですが、面白い話は計算で作れても、自分にとって大切な物語は計算では書けません。商業小説ではなく、趣味で小説を書く以上、私は自分に必要な物語を書きたいと思っています。それは無意識から湧き上がって来るイメージを拾い上げる作業なのです。このジャンルでわかりやすい代表は昔話や民話です。商業小説でも、ファンタジーはこの色が濃い作品が多いようです。

 もちろん、私にとって大切な物語を、他人に伝え、共感してもらうためには、「面白い話」である必要があります。面白くない話は読む価値がありません。ということは、自分にとっても読み返す価値が低くなります。書いておしまいになってしまうのです。もったいないですね。

 そして、「面白い話」を書くことは無意識にはできません。それは「定型」がある「デザイン」であり、「設計」「構成」の問題であり、誰でも取得できる「技術」です。「物語」は無意識の作品でも、「面白い話(伝える力)」は顕在意識による技術を駆使した製品や工芸品とも呼べるものなのです。それは、計算無くしてはできません。

 小説というものは、この無意識と顕在意識の共同作品です。

 今回、それを強く意識したのはキャラクター造形です。特にバルドルのキャラクターでした。

 例えば、ロキとシギュンのカップルは、私にとってアニマとアニムスのカップルである側面が強いのです。アニマは私と同性なので、こういう心理学用語の使い方が正しいのかはわからないのですが、(通常は異性の象徴のことをアニマ・アニムスと呼びます)。

 バルドルはどう見ても私のシャドウです。あのニコニコ君は(と言っても、現段階でサイトにはそこまで載せていないのでわからないでしょうけど)、私が今までに捨ててきた価値観の象徴です。シャドウだからこそ、私は書きながら「こういうキャラにすれば、読者はバルドルに対して『嫌なやつだなぁ』と言う感情を持ってくれるはずだ」と考えるわけですね。

 そういう好悪の感情というのは理屈ではない無意識的なものなので、計算で作り出すことは不可能ではありませんが、難しいです。

 計算すべきはそこではなくて、そのキャラを「どういう風に書けば」読者に「嫌なやつだ」とか、「良いやつだ」と「伝えられるか」、なんですね。それが、いわゆる描写と呼ばれているものです。

 どちらが欠けても小説としては成り立ちません。

 技術は教えられるので「小説の書き方」系のコンテンツは「作劇方法(=意識的な計算の方法論)」に偏りがちです。無意識の使い方は技術ではないので教えられないのです(物語の作り方で書いた「フィーリングで!」って部分ですね)。でも、コツはあると思います。

 それは、信頼して任せてあげること。馬鹿らしいとか、くだらないとか、恥ずかしいとか、考えずにどうすれば「他人に面白いと感じさせられるか」と考えてみること。

 小説サイトなんて、真っ裸になって心の恥部を全世界公開で踊り狂っているようなものです。恥ずかしくて当たり前です。私は多分、肉体的に全裸になるよりも、知人に小説を朗読される方が恥ずかしいです。

 「うわ、お前、こんな恥ずいセリフをカッコイイと思って真面目に書いてんのかよ。どんな中二病だ」って、言われるだろうなと思いつつも、それでも自分が面白いと思ったものを書いています。あと、「つまんねー」と思われてんだろうな、と思うと死ぬる。つか、真面目にこのサイト基本知人には見せないからな。

 話がそれました。そんな他人から見たらつまらないかもしれない、恥ずかしい話でも、自分にとっては面白かったり、技術的には精一杯だったりするわけです。それを認めてあげること。恥ずかしい。当然です。普段、相手に合わせて仮面被って(ペルソナで)生きてる人間が、外面取っ払って、本音大公開なんて、恥ずかしくないわけがありません。

 (日常生活で仮面を被るのが悪いと言っているわけではありません。ペルソナを使うことは服を着るようなもので、全裸で公道を歩いたら猥褻物陳列罪です。同じようにペルソナを使わない人は空気読まないはた迷惑な人です。)

 でも、恥ずかしくても裸踊りがしたいのです。だって、格好いいロキくんを読みたいのよ、私が。

 そして、たまに「面白かった」って言ってくれる人がいるので、恥ずかしい裸踊りでもする価値があるのですよ。まあ、普段は誰も見てないと思ってサイトに上げてるので(一件でも拍手来たら恩の字)、いつもそこまで恥ずかしがってるわけではありません。

 要は、小説を書くという裸踊りは恥ずかしくて当然なんだ、と認めて、諦めて裸踊りをすることです。恥ずかしくないように変にカッコつけてはいけません。それでは読者は感動しません。不格好でも精一杯頑張るから伝わるものがあるのです。胸に来るものがあるのです。スポーツ選手と同じです。

 恥ずかしくても、それでも書きたいと思った時、恥ずかしいけど自分は良いと思っていること、こうありたい、こうあるべきだと思っていることを書きたいと思った時、普段は意識の底に隠れている(心の恥部として隠している)無意識が働き出すのだと思います。

 そこから先の話は技術論で、どうとでもなります。ハウツー本でも読んで下さい。

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