『ハリー・ポッターと呪いの子』のACT ONE SCENE ONEの状況は論理的に考えると間違っている

そして、その理由を考えると、物語的な正解とは何かが見えてくる。

 みさなん、こんちには、J.K.ローリング女史は間違いなく最高のストーリーテラーの一人だと考えているポッターマニアの千月です。

 『Harry Potter and the Cursed Child』を読みましたよ! おもしろかったよ! いろんなカプ厨大歓喜だなって、雑食厨の千月は思いましたよ!

 それで、Twitterでちょっと呟きましたけど、シーン1は七巻ラストの十九年後のシーンから始まります。しかし、セリフや状況が微妙に違います。もちろん、ローリング女史はわざと変えているわけです。

 なぜ違っているのか、なぜ変えたのか。その意図を考えると、小説を書く上で必要な「シーンの目的」と「シーンで提示すべき情報」を設定する考え方に役立つと思い、ここで説明を試みます。

・『ハリー・ポッターと呪いの子』のファーストシーンは、状況を論理的に考えると間違っている

 『ハリー・ポッターと呪いの子』は、ハリーの息子であるアルバス・ポッターがホグワーツに入学するため、キングスクロス駅の9と3/4番線に入るところから始まります。

 そこで、ハリーはアルバスに9と3/4番線への入り方を説明するわけです。七巻を読んだ方なら、ここで「ん?」と疑問に思うはずです。

 なぜなら、状況を論理的に考えると、こんなシーンがあったとはとても考えられないからです。

 アルバスはポッター家の次男です。長男のジェームズは、すでにホグワーツに入学しています。そして、妹のリリーは家族と一緒にキングスクロス駅に来ています。

 と、いうことは、ジェームズが入学したときにも、アルバスとリリーは一緒にキングスクロス駅まで来ているはずです。そして、当然その時に9と3/4番線への入り方を説明されたはずなのです。

 事実、七巻の終章である『十九年後』では、9と3/4番線への入り方の説明は描かれていません。それなのに、『ハリー・ポッターと呪いの子』では、その説明が追加されているのです。これは、一体全体、どういうことでしょうか。

 ここで! 「ああ、なるほど。さすがだな」と、すんなり思えた人は小説(他ストーリーテリング)が上手い人です。「え、なんで変えたんだろう?」と、思った人は小説が上手くなる可能性を持っている人です。「そんなのどうでもいいじゃん」と、思った人は物語を純粋に楽しめる人です。

 最後のカテゴリに入った人! これ以降を読むと、私はあなたから世の中にある貴重な娯楽の一つを奪うことになるかもしれません。一度シナリオ分析を始めてしまったら、純粋に物語を楽しむことは相当に難しくなります。もし、あなたが小説を読んだり、映画を観たり、ロールプレイングゲームをやることをこれからも気楽に楽しみたいのなら、ここから先を読んではいけません。

 真ん中のカテゴリに入った人! 小説が上手くなりたいなら、この先を読んで損はありません。

 最初のカテゴリに入った人! あなたにこの記事は必要ないかもしれません。興味のある人は復習感覚でご覧ください。

・J.K.ローリング女史は、なぜわざわざ論理的に間違っているシーンを描いたのか

 七巻の『十九年後』と『呪いの子』の『シーン1』の違いは9と3/4番線への入り方の説明の有無です。

 なぜ、J.K.ローリング女史は、『呪いの子』で状況的にありえないにも関わらず、「9と3/4番線への入り方の説明」をわざわざ付け足したのでしょうか。

 それは言うまでもなく、説明する必要がある、と考えたからです。誰に? もちろん、アルバスにではありません。説明しなければならないのは受け手である観客に対してです。

・受け手のことを考えると「シーンの目的」が見えてくる

 小説に代表される全ての物語には、それを受け取る「受け手」が必ず存在します。小説であれば、それは当然「読者」であり、演劇であれば「観客」です。

 物語は「受け手」に届いて初めて意味を成します。作者の自己満足の為だけに書かれた、他人に読まれることを想定していない話は、「物語」ではなく単なる「日記」です。日記は自分しか読みません。物語であるためには、物を語る「語り手」の他に、受け取る相手である「聞き手」が必要なのです。

 では、七巻の『十九年後』を読むのはどんな読者でしょうか。『十九年後』は終章です。『ハリー・ポッターと死の秘宝』という小説の三十六章にも及ぶ長い本編を読み終え、読者はやっとこさ終章である『十九年後』にたどりつきます。

 いや、もっと言うと、『ハリー・ポッターと死の秘宝』は『ハリー・ポッター・シリーズ』の最終巻です。七巻を読んでいる読者は、これまでに『ハリー・ポッター・シリーズ』の分厚い六冊の小説を読んできた、『ハリー・ポッター・シリーズ』の世界観を熟知している、よく訓練された読者です。

 よく訓練された読者である彼らに、「9と3/4番線への入り方の説明」は不要です。彼らは今更そんなことを説明されずとも、ホグワーツ特急が赤い車体であることも、蒸気機関車であることも、「9と3/4番線への入り方」も、よくわかっているのです。

 翻って、『呪いの子』の『シーン1』を観るのはどんな人たちでしょうか。おそらく、その多くは『ハリー・ポッター・シリーズ』のファンでしょう。しかし、七巻の『十九年後』を読む読者よりも、いろんな観客がいるはずです。

 「小説は読んでないけど、映画は全部観てる人」、「子供にねだられて仕方なく観客席についている親」、逆に「親に連れてこられた子供」、「小説も映画も触れたことないけど、この機会に観てみようか、とやってきたご新規さん」。

 これら様々な人たちに、『ハリー・ポッター』の世界はこういう物ですよ、と説明するのが『呪いの子』の『シーン1』(と『シーン2』)であるわけです。

 ローリング女史は『呪いの子』の『シーン1』と『シーン2』を使って観客に、『ハリー・ポッター』の世界には現実世界から少しだけずれたところに「魔法界」があり、魔法界には「ホグワーツ」という学校があり、「スリザリン」は多くの闇の魔法使いを排出した寮であることを順に説明していくわけです。

 これが、「シーンの目的」です。つまり、『ハリー・ポッター』の基本的な世界観を伝えること。そのために、ローリング女史は、わざわざ状況的にはありえない「9と3/4番線への入り方の説明」を入れているのです。

 一方で、七巻の『十九年後』を読んでいる読者には、前述の通りそんなことは分かり切っています。彼らが知りたいのは、ヴォルデモートを倒した後、ハリー・ポッターはどうなったのか。ちゃんと幸せになれたのか、ということです。つまり、七巻の『十九年後』の「シーンの目的」は「ハリー達のその後を伝えること」です。

 だから、『十九年後』のシーンには「9と3/4番線への入り方の説明」は書かれていません。その代わりに、ハリーを初めとした多くの人物の現在が、断片的ではあれ書かれているのです。

・「シーンの目的」と「シーンで提示すべき情報」は連動する

 上手い小説を書きたい、と思う人は是非、七巻の『十九年後』と『呪いの子』の『シーン1』と『シーン2』を読み比べてみてください。(『呪いの子』の『シーン1』と『シーン2』が七巻の『十九年後』に相当しています。)

 その際に、七巻の『十九年後』のシーンの目的が「ハリー達のその後を伝えること」であり、『呪いの子』の『シーン1』と『シーン2』のシーンの目的が「『ハリー・ポッター』の基本的な世界観を伝えること」であることを意識してみてください。自分で比べてみる、という体験が重要だと考えます。

 『呪いの子』で変更されたのは「9と3/4番線への入り方の説明」の他にもあります。

 たとえば、ロンは「鼻盗みの達人」エピソードが追加されたほか、自動車免許の取得やマルフォイ家とのエピソードなど細かいセリフ回しがかなり変更されています。これは、初見の観客にロンのおちゃらけた性格を伝えるとともに、原作読者ならロンの長所と了解している双子譲りの悪ガキっぽさを初見の観客向けに押さえた結果と考えられます。

 他にも、マルフォイ家関係のエピソードの削除は、今回主要人物であるスコーピウス関連として尺を取るために、ここで駆け足でやる必要がないためであると考えられます。逆に、七巻ではここでやらなければ、もうやる場所がありませんから、情報が詰め込まれています。

 テディ・ルーピンとヴィクトワール・ウィーズリーのエピソードは、二人は『呪いの子』では登場しない人物のため、余計な情報で観客を混乱させないように削除されたと考えられます。七巻では、特にテディ・ルーピン誕生のニュースは暗い中での明るい出来事として読者の注目度も高いため、情報としては短い断片でも彼の現在を提示しています。

 逆に、削除されなかったネビル・ロングボトムのエピソードは、彼が『呪いの子』の中盤で「ナギニを倒した重要人物」として登場するため、あえて削除せずに残してあると考えられます。

 これらの違いは「シーンの目的の違い」から発生しています。「シーンの目的」と「シーンで提示すべき情報」は連動するため、「シーンの目的」が変わると「シーンで提示するべき情報」が変わり、シーンそのものもそれに合わせて変化していくのです。

・今回のまとめ

 このように、「どこが変わったのか」「なぜ変わったのか」を考えると、「シーンの目的の違い」や「シーンの目的に見合った情報提示」が見えてくると思います。

 これは、今回取り上げた例の他にも、たとえば「原作付きの映像化作品での変更点」でもわかります。比べるのに慣れたら、普通の小説や映画、漫画なんかでも、「このシーンの目的は何か」「目的を達成する為にどのように情報提示を行っているか」などを気にしながら読むようになると、ストーリーテリングの技術、つまり物語の「語り方」の技術が向上していきます。小説なら文章表現にも気付けて読めると、なお良し。

 というわけで、今回は『ハリー・ポッターと呪いの子』での変更点を例にとって、「シーンの目的」と「シーンの情報提示」について説明してみました。

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