もっと小説が上手くなりたい人への一口アドバイス色々

 ココナラで人様の作品に評価をつけさせてもらうようになって丸一年以上が経ちました。

 自分の持っている経験知を相手に伝わるように知識に変換していく中で、「この考え方は他の人にも知ってもらいたい!」というのが溜まってきました。せっかくなので、依頼者の匿名性を維持しつつ、知識の部分だけを公開できるように形式を整えながら、このページに徐々に追加していく形を取っていきます。

 途中、例示として文章の書き換えをしている部分があります。しかし、書き換え後の文が上手い文な訳では決してありません。ですから、あくまでも考えるとっかかりとして参考にして貰えれば、と思います。

文字数について

・三万字のボリューム感を把握する

 (物語の展開が遅くないか、という質問に対して)

 ご心配の通り、遅いです。三万字のボリューム感を把握することが必要かと思います。

 お手元に一巻完結の文庫本をご用意ください。そして、60ページを開いてみてください。物語はどのくらい進んでいますか? それが三万字のボリューム感です。

 少なくとも起承転結の起の部分は終わり、承の部分に差し掛かっているはずです。

 九万字ですと、短い文庫本一冊(180ページ前後)程度の分量になります。自分の書いた文字数が、市販の小説だとどれくらいの分量になるのか一度確認してみるといいと思います。

・会話と地の文の割合

 会話と地の文の割合は以下のサイトが簡単に調べられてオススメです。
ノベルチェッカー簡易版』(別窓)
(ちなみにこの時の依頼文は、『会話文:地の文(%)』が『4:95(%)』)

 私の場合は大体、『会話文:地の文(%)』が、『30~15:70~85』だと普通、『40以上:60以下』なら会話文主体、『10以下:90以上』だと独白主体の作品とみなしています。

 一概にこれくらいがいいとは言えません。基本は普通の範囲に収まるものが多いですが、独白主体の小説だと私も『4:95(%)』の書いてます(デスノ二次『君の名を継ぐ』)。二次だと原作の雰囲気にもよると思います。

(小説系だと全体的に地の文の割合が高くなる傾向があります。それでも主流はやっぱり普通割合の小説です。
漫画系だと普通割合が原作の雰囲気と合うことがほとんどです。
漫画系でもデスノみたいなセリフびっしりなやつは独白文体でも原作の雰囲気に合います。でも、主流はやっぱり普通割合でした。
銀魂みたいなギャグ系統は会話主体が一番原作の雰囲気に合います。ギャグの面白みは『ズレ』『ズラし』に集約されるからです。)

・物語における『会話』の持つ役割

 上記の『会話と地の文の割合』と関連として、「会話」の持つ役割について、少し思い巡らせてみるとよいのではないかと思います。

 例えば、独白は自分自身の思考に耽溺している状態です。周囲からの刺激がないため変化が起こりづらく、必然的に物語は展開できない状況に陥ります。

 一方、会話とは他人の考えに触れる行為です。自分とは違う考えに触れることによって、思考が刺激され、一人では決して思いつかないだろう考えへと発展していきます。この思考の変化こそが、『物語が展開すること』の本質の一つです。

 私が経験から得た感覚で言えば、独白形式が活きるのは『思い出語り』の小説です。この場合、事件や展開は全て過去の回想の中で起こります。物語の展開として変化するのは過去の主人公であり、過去の状況です。過去の主人公や状況がどう変化したのかを語り手は既に知っているため、語り手自身が変化する必要はありません。だから、語り手の独白で充分に(過去の)状態に変化を持たせられ、物語を展開させることができるのです。

 2017年にノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』も、思い出語りの独白形式の小説です。やはり、小説に占める地の文の割合が高く、セリフは一割程度です。(もしかしたら、一割に満たないかもしれません。)

 あるいは、二次創作なら、三千字から一万字程度のワンシーンを切り取る短編も独白形式がよく馴染みます。ワンシーンであれば、読者が変化を求める前に読み終わります。ただ、これは原作世界のバックボーンがあって初めて成立する話です。また、変化を求められないのはワンシーンだからこそなので、一万五千字を超えてくると退屈な小説になりがちです。

 「いつも同じようなお話で作品の幅がないことも悩み」。これはまさに独白形式の弊害で、物語が展開できない以上、同じ流れ(物語が展開しない流れ)の話にならざるをえない、ということなのではないかと思います。

 個々のキャラクターの『考え方』と、それを外部に伝える『セリフ』、そして、キャラクター同士の思いの『ズレ』を表出する『会話』。ズレることから始まる『変化』。この辺を考えてみるといいんじゃないかと思います。

文章描写について

・リズム感のある文章を書く

 「文章を音読した時の収まりの良さ」を少し意識してみてください。たとえば、文末が全て「~た。」で終わる文章は読んでいて違和感を覚えます(冒頭二段落目など)。

 小手先のテクニックだと、文末に「~た。」と「~る。」を交互に使ったりします。文章のリズムは作家の個性なので、自分の文章を音読しながら、しっくりくるリズムを探してみてください。

 流れるような文章は、読むこと自体が快楽になり得ます。そうすれば、多少説明が長く続いても読者に気持ちよく文章を読ませ続けることが出来るはずです。

・情報の取捨選択(絞り込み)

 作者としては読者に、あれもこれもと説明したくなってしまいます。けれども、必要最低限の情報だけ提示できれば、読者はちゃんとわかってくれます。読者の読解力を信頼して、説明を減らしましょう。

 必要な情報の判断の仕方については、シナリオ分析をしてみるのが良いです。

 おすすめは映画です。理由は三つ。

 一つ、基本的に一本完結であるため、シナリオが把握しやすいから。

 二つ、小説に比べて時間を取らないため、数をこなせるから。

 三つ、上手い小説家は説明を描写で行うので、小説では逆に情報提示のポイントを把握しづらいから。

 好きな映画やヒット作でやってみるといいと思います。ハリウッドのヒット作の多くは三幕構成を使用しているので、構成の勉強も兼ねてやると効率がいいです。

 本を二度読む、ネタバレ後に読むことに抵抗がないのなら、ミステリの新本格派の本もおすすめです。犯人が分かった状態で、推理するための情報を、「どこでどのように提示しているか」を確認しながら読んでみてください。

●おすすめ課題映画【シュガー・ラッシュ:ディズニー】

 以下の点に注目して観ること。

・世界観の説明
・主人公ラルフの状況説明
・主人公ヴァネロペの状況説明
・「ターボ」という言葉の初出
・「ターボ」の詳細説明のタイミングと説明のされ方

●応用編

 シナリオの最終段階で観客が了解しているべき以下の情報が、どこでどのように説明されていたかを把握する。

・キャラクター「ターボ」について
・ヴァネロペがゲーム内から出られないこと
・ヴァネロペがゴールするとゲーム「シュガー・ラッシュ」の設定はリセットされ、全てが元に戻ること
・サイバグとビーコンの関係について
・メントスコーラについて

・情報をエピソードとして展開する⇔エピソードを説明として圧縮する

 情報はエピソード(シーン)として提示してください。なぜなら、説明を読むのは基本的に退屈だからです。上記シュガー・ラッシュの例で言えば、冒頭部分ラルフの独白→どちらかと言うと説明、パーティーのシーンを使ってラルフが嫌われていることを示す→エピソードとなります。

 しかし、すべての情報をエピソードで説明しようとすると物語は長大にならざるを得ません。そこで、些末なエピソードは説明として圧縮します。

 このエピソードの圧縮が上手い作家として私が名前をあげられるのはJ.K.ローリングです。興味があったら読んでみてください。

例文:

 (前略)ハリーにとっては迷惑だった。教室を探すだけでも精一杯だったからだ。

 ホグワーツには142もの階段があった。広い壮大な階段、狭いガタガタの階段、金曜日にはいつもと違うところへつながる階段、真ん中あたりで毎回一段消えてしまうので、忘れずにジャンプしなければならない階段……。扉もいろいろあった。丁寧にお願いしないと開かない扉、正確に一定の場所をくすぐらないと開かない扉、扉のように見えるけれど実は硬い壁が扉のふりをしている扉。物という物が動いてしまうので、どこに何があるのかを覚えるのも大変だった。肖像画の人物もしょっちゅう訪問し合っているし、鎧だってきっと歩けるに違いないとハリーは確信していた。

 ゴーストも問題だった。扉を開けようとしている時に、突然ゴーストがスルリと扉を通り抜けたりするとそのたびにヒヤッとした。「ほとんど首無しニック」はいつも喜んでグリフィンドールの新入生に道を教えてくれたが、授業に遅れそうになった時にポルターガイストのピーブズに出くわすと、二回も鍵のかかった扉にぶつかり、仕掛け階段を通るはめに陥った時と同じぐらい時間がかかったこともあった。ピーブズときたら、ゴミ箱を頭の上でぶちまけたり、足元の絨毯を引っ張ったり、チョークのかけらを次々とぶっつけたり、姿を隠したまま後ろからソーッと忍びよって、鼻をつまんで「釣れたぞ!」とキーキー声を上げたりした。(引用元 「ハリー・ポッターと賢者の石」 ハードカバーP196から)

 上記の文は説明です。しかし、ハリーが、それぞれの扉や階段、ピーブズにぶつかる度に苦労する様子が自然と想像されます。もし、これらを個別にエピソードとして書くと文章量は膨れあがります。どこをエピソードとして取り上げ、どこを説明として圧縮するのかは作者のセンスです。この辺を意識して小説を読んでみると勉強になると思います。

・演出意図のある文章を書く

 文章を書く時、推敲する時に、その文章の役割を意識してみてください。小説に無駄な文章はありません。逆に言うと、小説に無駄な文章を書いてはいけません。

 一文一文に対して、物語における役割を考えてみてください。

>影絵劇団カシラというアイドルがよくわからないままに始まったのは、少しばかり前のことだった。

なぜ、この文が必要か→影絵劇団カシラについて説明するため、時制を示すため(状況レベル)
なぜ、影絵劇団カシラについて説明するのか→影絵劇団カシラがこの小説の主要なテーマであるため(物語レベル)
なぜ、影絵劇団カシラが主要なテーマなのか→主役二人が所属する組織であるため(設定レベル)
なぜ、この文が必要か→主役二人が所属する組織である影絵劇団カシラについて、読者に情報提示する必要があるため(構成レベル)

 言語化すると多いように思いますが、これだけの小説を書けている以上は、こういう判断を無意識的にでも行っているはずです。それを意識的にやるようにすると、無駄な描写や削れる文章がわかってくるはずです。

 たとえば、以下の文章は演出意図があまり感じられません。

> 駅舎に入る。ざわついた構内、アナウンスが上から流れている。財布からSuicaを取り出す。A子もまごつきながら出し、改札に触れる。

> ジャケットを脱いで、シャツを脱ぐ。B子がファンヒーター前を陣取っているため、室内があまり温まらず、服を脱げば寒い。掛かっていたブレザーの下、白いシャツを着て、制服のブレザーを羽織る。

> 駅構内に入る。バッグからSuicaを取り出し、改札に触れさせる。数歩遅れてB子も同じくタッチさせる。

> プレイヤーをバッグに突っ込む。靴を履き替えてから稽古場の明かりを消す。ポケットに突っ込んだ鍵を取り出し、錠をかける。がちゃりと低い金属音がする。

 これらは、動作・状況の説明文ですが、それ以上の意図を感じません。動作の説明だけならば、もっと削ってピンポイントだけ示すという手があります。逆に、動作説明以上の意味を込めるのならば、もっと字数を使って演出するべきです。

 たとえば、四番目に挙げた文章ですが、私ならこんな風にします。

動作のみ:

 プレイヤーをバッグに突っ込み、いつものように消灯を確認してから稽古場を施錠した。

心理描写込み:

 プレイヤーを適当にバッグに放り込み、手慣れた動作で靴を履き替える。今日まで散々練習に使ってきた稽古場の明かりを消すと、街灯の少ないあたりは急にどっぷりと暗くなった。ポケットに突っ込んであった鍵を探り当て、A子は稽古場の扉に錠を下ろした。がちゃりと低い金属音が、やけに大きく響く。デビュー前の最後の練習は、これで本当に終わってしまった。もう後戻りは出来ない。次にこの扉を開けるのは、影絵劇団カシラとしてデビューした後になるのだ。

 そのシーンで伝えたい情報は何か。どんな感情を伝えたいのか。そのためには、どういう文章にすれば効果的なのか。

 文章の意図を考えていくと、文章でキャラクターの状況や感情を『演出していく』ことができるようになっていくと思います。

・一文は短く

 日本語の文章は、一番最後の言葉でその文の意味が決まります。

 たとえば、「ヒカルは女の子です」という文章は「ヒカルが女の子であること」がすぐに解ります。では、「ヒカルは銃を持った女の子です」なら、どうでしょうか。まだそこまで長くはないので、「ヒカルが女の子であること」はすぐに解ります。

 でも、この文章の途中の「銃を持った」の部分は、延々と伸ばしていくことが可能なのです。「ヒカルは銃を持ってバイクに乗り、相棒の犬を連れて旅をしていますが、スカートははかずに自分のことをボクと呼ぶような無口で利口な背の低い女の子ではありません」。どうでしょう、「ヒカルが女の子でないこと」は、すぐに解りましたか? また、ヒカルがどんな子なのか想像がつきますか?

 一文が長いと、読者はその文章がどんな意味なのか理解するために文の最初から最後までを覚えておかなければなりません。その分、文の結論は先送りされます。

 さらに単語同士の修飾関係も複雑になります。

 上の文では「ありません」が「女の子」だけに係っているのか、「自分のことをボクと呼ぶような」に係っているのか、読者には判りません。単に「女の子ではありません」なら、ヒカルは男の子ですが、「自分のことをボクと呼ぶような女の子ではありません」なら、ヒカルはお淑やかな女の子になります。

 このように、一文が長いと解りづらく、読者の負担が高くなります。文は適度な長さで区切る事が、「意味を伝える」上で重要になります。

・主語を書くことを意識すること

 主語が抜けているために、動作主が誰だか分らない文が散見されます。日本語の文章は主語がなくても成立しますが、それは前文の主語と続く文の主語が同じ時に限られます。以下の場合のように、前文の主語と続く文の主語が切り替わる場合には、主語を書いた方が解りやすくなります。

> A子の了承を受けて先程までの口調をややフランクなものへ変えて立ち上がり、徐に右手を差し出す。

> 見下ろした白い掌。思わず意図を測りかねてそれを見下ろしていると、くすりと笑って言う。

 この文章には動作主である『誰が』それをしたのか、つまり主語がありません。主語がない文章では読者は『誰がその動作をしたのか』を『推理』しなければなりません。しかも、この文章は動作主が次々に変わっていくので、そのたびに読者は『推理』する必要があります。

 小説は、読者に余計な負担をかけさせない読みやすい文章で書かれている方が良いと私は思っています。文章が読みやすければ、その分、物語そのものについて考えることにエネルギーを使えるからです。

 先ほどの文章に主語を足すと、たとえば以下のようになります。

> A子の了承を受けて、B子は先程までの口調をややフランクなものへ変えて立ち上がった。徐に右手を差し出す。

> A子は、差し出された白い掌を見下ろした。B子の意図を測りかねて、それを見下ろしていると、彼女はくすりと笑って言う。

 英語のように全ての主語を書き込むと、日本語の文章としては、くどくなってしまいます。

 たとえば、一文目と二文目のように動作主が『B子』で変わらない場合には、二文目の主語を省略できます。これは、三文目と四文目(主語:A子)の場合も同様です。

 主語をどこまで省略するかはバランスの問題ですが、まずは解りやすさを優先し、次にくどくなりすぎないように省略していくことを考える順番が良いのではないかと、個人的には思っています。

・視点はなるべく固定する

 上記の主語が抜けている文章(主語を書くことを意識すること)とも関連するのですが、主人公の視点とヒロインの視点が入り交じっていて、読んでいて誰が何をしているのか推測するのに、非常に労力を使います。

 次々に視点が切り替わると、じっくり感情移入して読むことが難しくなります。主人公とヒロインの両方の視点を書く場合でも、最低限シーンを切り替えるまでは、どちらかの視点に寄せて書いた方が解りやすいです。基本的に小説の場合、1シーン内で視点を変えることは得策ではありません。

 また、視点主が完全に作者になっていると思われる文もあり(別に作者視点だから駄目と言うわけではありませんが)、読者としては誰目線で読めばいいのか解らない感じがします。(全体的に作者視点なら、第三者視点で主人公とヒロインの関係に萌える読み方もありですが、これは視点が入り乱れているので、それも難しいです)

 作中に、判りやすく作者の視点を持ち込む作家と言えば司馬遼太郎がいますが、プロの作家でも多くないスタイルだと思いますし、私はあまり読んだことがありません。どうやら歴史小説界隈で散見されるスタイルのようです。

 作者の視点で書かれていると、登場人物の視点で書かれるよりも小説としての臨場感が失われます。「小説と言うよりも報告書を読んでいるようだ」という指摘の要因の一つが、この作者の視点で書いた文章にあるのではないかと思います。

・説明ではなく描写をする

 説明文が多い、と感じます。説明と描写の違いは言葉にするのがなかなか難しいのですが、端的な言葉で書かれているのが説明で、動作やセリフが描写になります。

 たとえば、

> 現在の時刻で言うなら午後三時を少し回った頃である。

 この一行を、私ならこんな風に書きます。

> 主人公は廊下に掛けられた時計に目をやった。午後三時を少し過ぎている。

> 主人公がケーキと紅茶の準備をしている間に、三時ちょうどは過ぎてしまった。

> ケーキと紅茶を載せた盆を持ったところで、主人公は時計を確認した。午後三時を少し過ぎたところだ。この時間なら、彼女に休憩することを提案をしても怒られはしないだろう。

> 廊下を歩きながら、主人公は壁掛け時計に視線を向けた。おやつの時間には少しだけ遅刻だった。

 要は、「私は怒った」が説明で、「私は彼を睨みつけた」が描写です。

 説明文は報告書や論文など、相手に正確に物事を伝える必要がある時に使われる文章です。一方、描写は仕草や表情などから『心情を推測させる』ための文章です。

 小説の基本は描写なので、直接的な言葉は、動作や心情に置き換えていくことが必要です。描写を工夫していくことで、より小説らしい表現になっていくかと思います。

物語の構成について

・この話の「売り」は、どこか

 難しく考えなくて良いです。この小説を書くことで何を伝えたいのか。それが売りです。虐待されることの辛さ、悲惨さを訴えたい、ということなら、それでも充分です。

 「この小説はここが売りだ!」というのを明確にしているのと、曖昧なのとでは、描写の力点の置き方が変わってくるので、でき上がりが違ってきます。

・物語の構成(起承転結・序破急・三幕構成など)を考えているか

 全体の大まかな構成はあるのかもしれませんが、章ごと、シーンごとにも、盛り上がりや引きは必要です。連載漫画をイメージして貰えれば解りやすいかと思います。

 また、250ページというのは、文庫本およそ一冊分です。事件を一つ閉じれる文章量であることを意識してください。

 分厚いものでも、中間あたりから後半のページ数になります。遅くとも、三幕構成でいうミッドポイント(つまり、設定説明はとうに終わり、事件は切迫し、主人公が追い詰められて盛り上がるべきポイント)を持ってこられるようにしてください。

・読者に立てさせる予想を考えているか

 エンタメの基本は「読者の期待通りに予想を裏切る」ことです。つまり、エンタメにするためには、まず「読者に期待」を持たせ、「予想を立てさせる」必要があるのです。

 B子が家出を持ちかけてきて、面白くなってきた、と感じたのは、「これからこの話はA子が家出する方向に向かっていく」と『話の道筋が見えること』によって、「この虐待続きの毎日から抜け出せる」という『期待』が生まれたからです。

 ここで、読者の立てる予想は二つです。一つは、A子は家出に成功する。もう一つは、A子は家出に失敗する。まぁ、私は冒険小説が好きなので、「家出は成功する」と予想を立てました。この場合の「予想を裏切る」は、「読者の思いもしない方法で家出を成功させる」ということになります。

 しかし! その後、読んでも読んでも、いつまで経っても話は家出に進みません……。結局、家出のシーンにたどり着く前に飽きてしまいました。

 期待を持たせたなら、作者にはとっとと期待に応えて欲しいのです。読者は飽きっぽくて冷たいです。情報を小出しにして読者を釣る方法もありますが、その場合は関連する小さな事件をばらまきます。そして、小さい事件をまめに解決していくことで、読者の期待に応えつつ、大きな期待のボルテージを上げていくことが必要になります。

 「このシーンを読んだ読者はどう考えるか」を考えながら書くことは、非常に重要です。それは「このシーンでは泣いて欲しい」「ここは面白がって欲しい」「この小説でこれを伝えたい」などを考えることであり、さらには「このシーンで読者に泣いて貰うには、どう書けば良いのか」「これをどう伝えれば、読者は面白いと思えるか」を考えることです。もっと考えを進めていくと、「読者にこう予想させるためには、どう書けば良いのか」となります。これができるようになると、読者に立てさせた予想を裏切って、期待に応える事ができるようになります。

・「目的・障害・ひらめき」の三点セットの使用提案

 『読者に立てさせる予想を考えているか』と関連するのですが、これは「読者の期待通りに予想を裏切る」ための三点セットです。

 読者に期待を持たせるためには、まず「目的」が必要です。たとえば「虐待続きの毎日から抜け出す」が、目的になります。これに対して読者は成功することを期待します。具体的な手段は「学校の金を盗んで家出する」です。読者はこれに対して、成功する予想と失敗する予想を立てます。

 さて、「期待通りに予想を裏切る」のですから、A子は読者の期待通りに「虐待続きの毎日から抜け出す」必要があります。では、予想はどうやって裏切るのか。ここで注意したいのは、「学校の金を盗んで家出する」という手段は失敗しても、成功しても良いのです。

 

 一番順当な方法は、「家出が成功して、虐待続きの毎日から抜け出す」です。でも、これをそのままやると「読者の予想通りに期待を叶える」です。

 二つ目の方法は、「家出は失敗し、虐待続きの毎日からは抜け出す」です。これは「読者の期待通りに予想を裏切る」形になります。

 三つ目は、「家出とは関係無しに、虐待続きの毎日から抜け出す」です。話を進めるうちに、期待を叶えるための別の手段が見えてくるパターンですね。これもこのままで「読者の期待通りに予想を裏切る」形になります。

 この中で一番順当な一つ目の方法を使いつつ、読者の予想を裏切るために必要になるのが「障害」です。これは、目的を達成するのに障害・邪魔になるもの、ということです。

 この小説では「ダイアル式金庫の鍵」が障害にあたります。読者の「予想外」に出てきた目的を妨害するものです。最初から障害を提示しておいて、それを予想外の方法で取り除く(解決する)という場合もあります。

 ちなみに、二つ目、三つ目のパターンでは、虐待続きの毎日を成立させているもの、つまり「I子、K子、U子」が障害になります。

 

 最後に、使うのが「ひらめき」です。障害を排除するための手段になります。推理小説で言えばトリック。ダイアル式金庫の暗証番号を「誰がどこに保管しているのか」本文中にさりげなく描写しておき、キャラクターに気がつかせるのです。

 たとえば、「西園寺は自転車のダイアルロックでも、会員サイトのパスワードでも、クレカの暗証番号でも、メモに書いて取ってある」と書いておけば、主人公達が「西園寺ならダイアル式金庫の暗証番号のメモを取っているはずだ」と考えてもおかしくはありません。

 また、「西園寺は家の鍵を郵便受けの中にセロテープで貼りつけて隠していることを吹聴していること」も先に本文に書いておく。

 そして、主人公達が暗証番号のメモを探して行き詰まっているところで、それを思い出させます。すると、一度探して絶対にないと思っていた机の引き出しの脇や裏に暗証番号のメモがセロテープで貼ってあることを発見するわけです。(この例は相当荒っぽいです)

 小さくても「ひらめき」があることで、「当たった!」「外れた!」というクイズ的な要素が加わるので、読書の快感が大きくなります。(さらにこれが上手いと「やられた!」になります。本格派の推理小説が典型例です)

 さらに重要なのが三点セットを使い終わったら、すぐに次の三点セットを物語に配置する事です。できれば、使い終わってから次を置くのではなく、平行して配置していくのが理想です。そうすることで、持続的に読者に興味を抱かせることができます。

・恋愛ものの三形態

 一つは「片思い」もの。愛情が届かない、片思いを書きます。少女漫画の典型例です。同人では両片思いが好まれる気がします。お互い好きだけど言い出せない、みたいなのはこれです。

 二つ目が「新婚もの」で、つきあい始めたばかりの「たーくん(ハート)」「みーちゃん(ハート)」と呼び合いながら見つめ合うだけで幸せ、という状態のやつです。ほのぼの系。

 三つ目が「熟年夫婦もの」。「あれ取って」「はい、これ」「この間、あれしたじゃん」「あー、あれ良かったよね」と、指示代名詞だけで会話が成立するような信頼関係が特徴です。恋愛関係ではありませんが、『ごくせん(漫画版)』『トリック(ドラマ)』などのバディものもここに含まれます。

 それでですね、恋愛を題材にしてドラマ(葛藤)を作ろうとすると、必ず「片思い」が必要になります。新婚ものと熟年夫婦ものでは、ドラマは恋愛以外の部分で起こります。『トリック』はバディものですが、恋愛をテーマにした葛藤部分は「片思い」ですよね。

 つまり、恋愛ドラマを作る上で重要なのは「いかに相手を想っているかと、いかに相手に想いが届かないのか」という「片思い加減」なのです!

 例えば、A男がヒロインへの想いを封印したエピソードを活かすのなら、以下の二つの方法があると思います。

1.A男は想いを封印することに成功するが、ヒロインがA男を意識し始める。
 (A男←ヒロインという一方通行が成立する)

2.A男は想いを封印することに失敗する。今の関係を失いたくないので態度には出せない
 (A男→ヒロインという一方通行が成立する)

 この一方通行の想いが大きくて届けるのが困難なほど、切なさボルテージは上がっていき、最後に両思いになった時のカタルシスが大きくなります。

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