書斎の机から失敬してきた父親のアルバムを睨みながら、ジェームズは唸り声を上げて首をひねった。

「どっかで見たことある気がするんだよなぁ」

 ベッドの上で頬杖をついて口をとがらせる。パタパタと動く足がベッドの隅の方に丸まっているタオルケットを不満げに何度も蹴っ飛ばした。

 写真の中では自分の祖父であり、尊敬してやまないイタズラの大先輩であるプロングスが大親友であるパッドフットの肩を抱いて笑っている。

 どこかで会ったことがある気がする。親にも何度か漏らしたことがあったが、その度に「顔がそっくりだからだよ」とごまかされてしまう。でも、会ったことがある気がするのは単に自分の顔が似ているからではない。ジェームズは確信していた。

 だって、白黒写真に写る祖父の瞳がハシバミ色なのを、誰に聞いたのでもなくジェームズは知っているのだから。

 それは、そう。きっと生まれる前のこと。

 ジェームズはため息をついて、ころりと仰向けになった。大の字に寝転がったまま目を閉じる。大きく息を吸ってから、ゆっくりと心の底にわだかまっている記憶の澱をさらい始めた。

きっと ぼくは たずねられたんだろう
うまれるまえ どこかの だれかに
みらいとかこ どちらかひとつを みれるようにしてあげるからさ
どっちがいい?

 それは一面真っ白な何もない空間だった。ただ目の前に鳥の爪のような足を持った鏡が立っているだけ。もしかしたら、本当は鏡の他にも何かあったのかもしれない。記憶が曖昧になって覚えてないだけなのかも。その時会った二人の若い男の顔も、ジェームズはうまく思い出せなかった。

 でも、その時感じていた心が弾むような、浮き立つような気分はよく覚えている。ワクワクするような体験が、この先たくさん待っていることを知っていた。

「ようこそ、選択の間へ」

 響いた声に、ジェームズは夢中になって覗き込んでいた鏡から顔を上げた。鏡の両脇に、二人の男が立っていた。二人とも黒髪で、一人は若く、くしゃくしゃの癖っ毛にメガネをかけている。もう一人は短いけれどサラサラのストレートヘアで、隣の男に比べると一回りほど年をとっているように見えた。

「せんたくのま……?」

 突然現れた男にぽかんとしたまま、ジェームズが言った。

「そう、選択の間。ここでは、きみにいくつかの選択をしてもらう」

「いくつかはみんなが通る道だし、いくつかは俺たちからの贈り物だ」

 メガネの言葉を年かさの男が引き継いだ。二人は随分と年が離れているのに、まるで幼馴染の親友のような雰囲気だっった。

「さあ、さっそく一つ目の選択だ。未来と過去、どちらか一つを見られるようにしてあげるからさ。どっちがいい?」

 メガネが口の端を持ち上げてニンマリと笑う。ジェームズはその質問に迷うことなく答えた。

「未来!」

「へぇ、どうしてだい?」

 年かさの男が面白そうにニヤリと笑った。男の声にからかうような色を見つけて、ジェームズはムッとした。

「だって、未来が見えるほうがいいに決まってんじゃん!」

 年かさの男が屈んでぬっと顔を近づけてきて、ジェームズはちょっとだけ怯んだ。

「先のことが見えるってのは楽しいばっかりじゃないんだぞ。知らなくたっていいことを知ってしまった時、待ち受けるものの重さに耐えられるか」

「そんなの! 全然ヘーキだよ!」

 ジェームズの答えは明快だった。

「だってオレ、みんなを守れる人になりたんだ! 前を向いて、未来を見ていかないと、きっと誰も助けられないもの」

「そのとおり! 過去は関係ない! 大切なのは、これからどうするかだ!」

 突然大きな声を出したメガネにジェームズは少しびっくりしたが、すぐに笑顔になった。メガネの男は自分の意見を認めてくれたのだ。

「オレ、強くなるよ! 勇気ってなんだかわかるように!」

「よく言った、それでこそ我が……」

「ジェームズ! はしゃぎ過ぎだ」

 年かさの男がメガネの肩を叩いた。眉を寄せた奇妙な表情で口をつぐんだメガネの男にジェームズは首を傾げた。いたたまれないのか、メガネがわざとらしく一つ咳払いをした。

「では、次の質問に移る」

 年かさの男がジェームズの腕を指さした。

「腕も」

 次には下半身を指さす。

「足も」

 そして顔の各部分を順番に。

「口も、耳も、目も」

 胸を指し示した指先が顔の中心へと戻る。

「心臓もおっぱいも鼻の穴も」

 ジェームズは目を瞬いた。

「全部二つずつ付けてやるからな。いいだろ?」

 首を傾げてみせる年かさの男の目を見つめたまま、ジェームズは数回瞬きを繰り返した。そして、目をつぶると静かに頭を振った。

「口は二つも要らないよ」

 ジェームズの答えに、二人の男は互いに目配せをして、ニヤッと口の端を上げた。気づかずにジェームズは続ける。

「そりゃ、口が二つあったら便利かもしれないけどさ。でも、右と左の口でいっぺんに喋ろうとしたら、きっとオレ、わけわかんなくなって頭こんがらがっちゃうよ。聞く方だって大変だろうし。それに、さ」

 ジェームズは二人を見つめ返すと、オホンと咳払いをしてニヤッと口の端を上げた。

「大事なことは、背中で語るもんだろ? オトコならさ」

 男たちは口元だけで笑うと、頷き返した。二人の笑い方が兄弟のようにとても良く似ていて、それでいて自分の笑い方にも似ているような気がして、ジェームズはザワザワと胸が騒ぐのを感じた。それでいて、どこか懐かしい。

 うまく言葉にはできなかったけれど、早く忘れてしまいたくて、でも忘れたくないと思った。こんな思いを、なんて言うんだろう。

「まあ、だけどさ。一番大事な心臓はさ、両胸に付けておいてやるよ。いいだろ?」

 ニンマリと笑ったまま、メガネの男がジェームズの胸を両手でトンと突いた。間近に迫ったハシバミ色の目に、ジェームズは一瞬、息を詰めた。

 慌てて首を左右に振る。

「なんでだよ。大事なものは、スペアがあった方が安心だろ?」

 年かさの男がメガネの肩に腕を回して言った。ジェームズの視線が無言でハシバミ色から黒い瞳に移る。

「だって、大事なものはね。一つしかないから、余計に大切なんだよ。かけがえのない、って言うだろ。スペアがあったら、替えがあるってことだから」

 息を大きく吸う。思いが揺らがないように、ジェームズは腹に力を入れた。

「オレのハートに替えは要らない」

 二人を見返して、自分の覚悟が伝わるように、ジェームズは殊更ゆっくりと言った。二人は納得してくれるだろうか?

 一瞬きょとんとした男たちは、次の瞬間けらけらと笑い出した。

「な、なんだよ。笑うなよ!」

 ジェームズは顔を真っ赤にして、腕を振って自分のそばから二人を追い払った。

「いや、それが賢明な判断だと思うよ、少年!」

「心も、命も、替えは要らないか」

 二人は相変わらず笑い声を上げていて、ジェームズは口を尖らせた。右手で胸元を押さえる。

 トクン、トクン、と小さな鼓動。頼りないけれど、たった一つしかない大切なもの。オレのも、これから出会う人たちのも。たった一つだから、守りたいって力になる。

 ひとしきり笑った男たちは、また真顔に戻って話を続けた。

「じゃあ、後はオプションだけだね」

 メガネの男の言葉に年かさの男が頷いて続ける。

「涙はどうする? 面倒だからってつけない奴もいるけど」

「涙……」

 二人を見上げてポツリと呟いたジェームズに、男たちは微笑んで頷き返した。

「味も色々あるぞ~」

「酸っぱいの、塩っぱいの、辛いの、甘いの」

 きっと、それは重要な時に流すもので。きっとそれは、一生の思い出になるようなもので。きっとそれは、悔しくて、悲しくて、辛くて、嬉しくて……。

 きっと、それは――。

「オレ、涙、付けるよ。だって、守りたいものが何なのか、どんくらい大事なものなのか、きっと、涙がないとわからないから」

「うん、そうだね。ちなみに、味はどうする?」

「そんなの、決まってんじゃん」

 問いかけてくるメガネの男に、ジェームズは不敵に笑って答えた。

「全部!」

 男二人は顔を見合わせて苦笑した。

 わがままだって思われてもいい。だって、ジェームズは全部必要だって思ったんだから。

「それじゃ、最後の質問だ」

 人差し指を立てる年かさの男に、ジェームズは唇を引き結んで頷いた。

「きみに、人を元気にするようなイタズラの才能を――」

 

「ジェームズ! ジェームズ! 出て来なさい、ジェームズ!」

 庭から怒り心頭な母の声が聞こえてくる。ジェームズは、ハッとして目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。

 枕代わりにしていたアルバムの中には相変わらず二人の男が仲良く腕を組んで写っていた。なんだか、こいつらの夢を見ていたような気がする。

「ジェームズ! どういうことなのか説明しなさい!」

「ママ! そんなに怒らないで! それに、あたし、アレ、キライだもん!」

 母親の声に混じって、妹の声が聞こえてくる。大方、ネビルが持ってきた貴重な、おっと違った、不気味な魔法植物の鉢植えを朝のうちにリリーの大好きなペチュニアの花にすり替えて置いたのがバレたのだろう。

 ジェームズは頭を振って体を起こした。ネビルの変な植物は、ちゃんと教科書を見ながら庭の隅に地植えにしてやったけど、今の母に見つかるとヤバイ。とっとと部屋から脱出して、ほとぼりが覚めるまで逃亡して置かなければ。

 ジェームズは父の書斎から失敬してきた透明マントを羽織ると、ベッドの上に広げっぱなしのアルバムを振り返った。

 やっぱり、どっかで見たことがあるような気がして、だけど思い出せない。首をひねったジェームズは、サンキュと口の中で呟いた。なんとなく、そう言いたい気分だったのだ。

「ジェームズ! いい加減にして!」

 いよいよ血管が切れそうな母の声に、ジェームズは慌てて身をひるがえし、そっと部屋から抜けだす。

 思い出のマントを羽織った後ろ姿に、写真の中の二人は満足気に手を振り、笑顔で見送っていた。

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