前回書いたこちらを呼んだ方は私が度々、某スレで評価依頼していることをご存知かと思う。もちろん、評価依頼だけではなくて、評価する側に回ることもある。
今回は文章技術について、自分が小説を書いてきた経験と評価をつける時の経験で気づいたことを中心として、レベル別文章の特徴と「アドバイスをつけるなら」を書いてみたい。
前回書いたこちらを呼んだ方は私が度々、某スレで評価依頼していることをご存知かと思う。もちろん、評価依頼だけではなくて、評価する側に回ることもある。
今回は文章技術について、自分が小説を書いてきた経験と評価をつける時の経験で気づいたことを中心として、レベル別文章の特徴と「アドバイスをつけるなら」を書いてみたい。
自分の場合は書き始めてから三年くらいはココでした。いや、もっと長いかな。現在のPCサイトを立ち上げてから一年くらいは、このレベルでした。
とにかく「自分の考えた話を書きたい、書いたよ!」って時期。書くことだけで精一杯。でも、この段階で楽しいと思えなかったら、字書きとしてやってく才能はないから諦めたほうがいい。好きこそものの上手なれって言うでしょ?
とにかく楽しんで小説を書いているとある日突然気づく。「あれ? これ、俺の言いたいことって全然伝わってないんじゃね? 頭の中に思い描いている光景の、十分の一も書けてないんじゃね?」と。
おめでとうございます。あなたはレベル2に無事進化しました。
この辺から文章を書く時に「工夫」という視点が入ってきて、場合によっては文章を書くこと自体が辛くなってくる。
「自分の文章は冗長なのではないか?」と薄々気づき始めたら、それはレベルアップのきざし。文章作成の視点を変える時だ。
作者が「もしかしたら冗長かも」と思ったら、読者は間違いなく「冗長すぎ。その話はさっき聞いた。そろそろ飽きてきた」と思いながら読んでいる。
そう、「たっぷり字数をかけた微に入り細を穿つ文章」から「少ない言葉で正鵠を得る文章」へと書き方を変える時が来たのだ。
文章を究極まで削りこむと、さらにその先が見えてくる。つまり、「書いて伝える」のではなく、「書かずして伝える」のだ。
何事にも限界が有るように、言葉で伝えることにも限界がある。言葉は嘘をつく。ただ端的に「好き」と書いた瞬間にそれは嘘っぽくなる。
ならばどうするのか。行動と状態で読者に「ああ、キャラAはキャラBが好きなんだな」と推測させるべく誘導するのだ。
「書かずして伝える」ことができるようになると、余韻のある味わい深い表現ができるようになる。
608 :スペースNo.な-74:2013/02/13(水) 18:36:13.75
[省略]
>ぐるると喉を鳴らして彼女[引用者注:主人公の飼猫「ニラ」のこと]が挨拶を返してくれる。ちなみにこのニラという名前は、バニラからきている。白くてふさふさとした毛をもつ彼女には似合いの名前だ。ただ、短縮した名前が定着してしまったおかげで緑色のイメージが抜けないけれど。
これ、最後の「緑色のイメージ」を直接的な、例えば「野菜のニラのイメージ」とするだけで台無しになってしまうんです。
ニラという呼び名が出た時点で、野菜のニラを想像しますよね。
ですからそのあとに「野菜のニラの~」などと書かれても、読み手はだからなんだ?としか思いません。同じ情報は二つもいらない。
しかしここを「緑色の~」という間接的な表現とすることで、読み手の思考にいくつかの段階ができます。
今回の場合なら、緑色のイメージ→前に猫がニラと呼ばれているという情報があった→ニラは緑色である→やっぱりこれは野菜のニラのことだよね、という感じ。
個々の情報が、読み手の想像により一つのつながりを持ちました。つながりはすなわち意味であり、それを読み解く過程こそ、考える余地というわけです。
でも普通ニラのことでここまで細かく考えないですがwまあ、一つの例として挙げてみた次第です。
上記はあくまで表現手法の一つですので、こだわりすぎるのは×です。読み手も書き手も疲れてしまいますし
。 ただ推敲をする際、「この場面、文、言葉にどういう意味があるのか」を少し意識すると、やりやすいと思います。
たぶん、今回取り上げる文章技術では最終段階。というか、自分が今ココ。この上があるのかどうかは知らない。むしろ、精度は増してもずっとこのレベルで悩み続けるのが字書きという生き物のような気がする。
文章を削ぎ落とし出すと、あれもこれも余計な表現に見えてくる。そうすると、「どこまでなら冗長にならないのか」、「どこまでなら削って大丈夫なのか」、「何をどこまで書けば、読者はこちらの言いたいことを推測できるのか」を悩み始める。
ただ、作者がこのレベルで悩んでいる場合、ほとんどの読者は文章にストレスなく小説を読むことができるのではないかと思う。
いかがだっただろうか。
今回は分かりやすいように便宜的にレベルを振った。だが、これは千月の場合はこういう順番だったというだけであるので、その点を留意してもらいたい。
また、同じ作品であっても部分によって前半は冗長だけど、後半はテンポが良いなどレベルは入り交じるため、一概には言えない。レベル4を気にして推敲していても部分的にはレベル2の意識だったりとか(例:ヴァトンスデーラ・サガ)。
それでも、スレで評価依頼の文章を読んでいると、やはり成長段階にある程度の類似性があるように思える。
前回はどちらかというと「物語る能力そのもの」に焦点を当てたが、今回は「文章技術」に焦点を当ててみた。小説には他にも「作劇技術(物語の作り方)」や「演出技術(情報の見せ方)」などが複雑に絡まり合って作用している。
前回と同じく、小説の技術ってどんなふうに上がっていくのかなぁ、という疑問がなんとなく解消したような気分になって貰えたら幸いである。