人混みの中に見覚えのある姿を見つけた。流れるような艶やかな黒髪、白い肌、さくらんぼ色の口唇、そして何よりも星がきらめくような、はしばみ色の瞳。
「アスティ! アスティじゃない?」
懐かしい姿にジニーは思わず声を上げた。
「ジネブラ? ジネブラなの?」
振り向いた相手が目を見開いて同じように声を上げた。めったに呼ばれることのない自分の呼び名がくすぐったく、ジニーは照れくさそうにはにかんだ。
つい先ほど、キングズクロスの九と四分の三番線から二人の子供たちを送り出したばかりだった。九月一日にキングズクロスで魔法族に出会ったとしたら、思い当たる用事は一つしかない。
「久しぶり! もしかして、あなたもホグワーツなの? うちも、上の二人がね」
「そうよ、うちは一人っ子だけど」
勢い込むジニーに相手も楽しそうに応えを返す。
「結婚してたなんて知らなかったわ! 結婚式に呼んでくれれば良かったのに!」
「旦那のお父様がうるさくて。ごめんなさいね……」
「ううん、いいのよ。それより」
「ママ! お友だちなの?」
父親の手を引いて跳ねるようにやってきた娘の頭をジニーは愛おしそうに撫でた。
「そうよ。ママがホグワーツにいた頃の友だち。ハリー、こちらアスティ。私の同級生よ」
紹介された妻の友人にハリーは笑顔で手を差し出した。
「はじめましてハリー・ポッターです」
「はじめまして、あなたのことはジネブラからも、夫からもよく聞きます」
「へえ、旦那さんは……」
その時、人混みから抜けてきた男が彼女の肩に手を置いた。
「アステリア? どうかしたのか?」
その男を仰ぎ見て微笑みかけてから、アステリアはハリーとジニーに向き直った。すっと上品に右手を上げて隣の男を示す。
「夫のドラコです」
「えっ?」
「ポッター?」
声を上げたハリーにドラコは目をまたたく。お互いに「どうしてお前がここにいる」とけげんな顔で目を見交わす。
「ドラコ、こちら友人のジネブラと旦那さんのハリー」
あえてファミリーネームを告げずに相手を紹介するアステリアの意図を、ドラコは多少曖昧ながらも「家名に絡んだ喧嘩をするなということだろう」と察した。
「アスティ? あなたの結婚相手って……」
ジニーが驚愕の声を上げるのを遮ってアステリアが優雅に微笑んだ。
「ジネブラ、もし時間が許すなら五人で一緒にお茶でもいかがかしら?」
「ママ、私疲れちゃったわ! お茶にしましょう!」
リリーのその一言で一行は近くの喫茶店に入ることになった。
「信じられない! あなた、スリザリンだったの」
「そうよ、隠してたけれど」
「どおりで授業で見かけないはずよ。ずっとハッフルパフばかり探してたわ」
信じられない、と何度も繰り返すジニーにとうとうドラコが吹き出した。
「なにも笑うことないじゃない、失礼な人ね!」
「いや、失敬。妻の話に出てくるジネブラが、まさかきみだとは思わなくてね、ミス・ウィーズリー。いや、今はミセス・ポッターか」
「彼女、黄色と黒のネクタイ締めていたのよ。スリザリンだと思う方がどうかしてるわ」
ジニーは怒ったようにドラコを睨みつけた。
「それに、名前だってアスティってあだ名しか教えてくれなかったし!」
「そう言うあなただって、ジネブラとしか言わなかったわ」
ジニーとアステリアはお互いに睨み合うと、ぷっと同時に吹き出した。学生時代にお互いのついた小さな嘘が、ともすれば壊れてしまう二人の友人関係を守ってきたのだ。嘘だとわかっていても、あえて追求して来なかった部分がある。
ハリーは妻たちが楽しそうに話している隣で嬉しそうにピーチケーキを口に運ぶリリーを眺めていた。
ジニーが向かいに座ったアステリアの方にぐっと身を乗り出す。
「ねぇ、どうして隠そうと思ったの?」
「だって、初めて友だちができそうだったのに、あなたはグリフィンドールだし、スリザリンは秘密の部屋が開いたことで嫌遠されていたし……」
やきもきするように手を揉みながら話すアステリアにジニーはポンと手を叩いた。
「秘密の部屋! 懐かしいわ!」
「結局、継承者は誰だったのかしら?」
アステリアが頬に手を当てて首を傾げると、ジニーは思わずハリーと目配せした。
「さあ? なんでもヴォルデモートだったらしいわよ。私の聞いた話ではね」
ジニーはハリーと目をみかわせてウィンクした。ジニーの目がダンブルドアのようにいたずらっぽく輝いた。
それまでケーキを食べることに夢中になっていたリリーは、空になった皿にフォークを置いて父親を見上げた。
「ねぇ、パパ。グリフィンドールとスリザリンだとお友だちになれないの?」
リリーにまっすぐに見つめられてハリーは気まずげに頬をかいた。
「あー、なれないってことはないと思うけど……」
目線が泳いで確認するようにドラコを見る。彼は薄情にもテーブルの向こうで肩をすくめた。
「もちろん、なれるわ。おばさんとあなたのママは友だちよ」
リリーの斜め向かいからアステリアが優しく声をかけた。リリーは今度は母親を見つめて目をまたたいた。
「本当?」
「本当よ」
ジニーの返事にリリーは安心してホッと肩の力を抜いた。
「良かった!」
ふと、ハリーは自分のことではない別の事例を思い出して、それをリリーに教えてやる。
「それに、リリーの死んだおばあちゃんはスリザリン生と親友だったよ」
ハリーの言葉にリリーはますます嬉しそうににっこりした。
「私、グリフィンドールに入ったらスリザリンの親友を作るわ!」
そんなリリーに目を細めてドラコが横槍を入れる。
「でも、お嬢さん。きみがグリフィンドールに入るとは限らない。スリザリンになるかもしれませんよ。それに自慢じゃないが、私とあなたのお父様は学校で一番仲の悪いスリザリンとグリフィンドールだったね」
リリーは『お嬢さん』と淑女にするように丁寧に話しかけられて、恥ずかしそうに顔を赤らめて少しもじもじした。
「あら、おじ様。もしそうなったら、グリフィンドールの親友をつくります。それで一緒だもの!」
リリーは精一杯背伸びして立派に見えるように振る舞った。そんな娘にハリーも助け舟を出してやる。
「そうだね。それに、きみは一応、僕の命の恩人だ」
指摘するハリーの指を払うようにうっとうしげに手を振って、ドラコは無言で「その話はするな」とハリーを睨みつけた。
リリーは自信ありげに胸を張っていたが、ふと不安そうに両親の顔を見比べた。
「ねぇ、もし私がスリザリンになっても、パパもママも怒らないよね?」
ハリーとジニーはお互いに顔を見合わせたあと、リリーに満面の笑顔を向けた。
「もちろんよ、リリー。怒るわけないじゃない」
「ジェームズはグリフィンドールだし、アルバスはスリザリンになるかもしれないし、いっそリリーはハッフルパフかレイブンクローに入ったら? 兄弟で全寮制覇目指して」
「制覇するには一人足りないわね」
アステリアの言葉にリリーは期待を込めて母親を見つめた。
「ママ、私に妹か弟ができるの?」
「さあ、どうかしら」
肩をすくめてはぐらかすジニーをドラコが腕を組んでせせら笑った。
「きみのお母様は子沢山で有名なウィーズリーだからな」
「お父様とお母様にお願いすればできるかもね」
アステリアの言葉にリリーは目を輝かせて両親を見上げた。
「どうする?」
頭をかくハリーにジニーはいたずらっぽく肩をすくめる。
「そうねぇ……。あなたがもっと家の手伝いをしてくれるなら、考えてもいいわ」
「パパ……」
リリーに期待のこもった目で見つめられて、ハリーは癖の強い髪をかき回した。
なにしろ闇払いの仕事はただでさえ忙しい上に、緊急の呼び出しだって少なくない。ハリーは今でも頑張って家族サービスしているつもりだが、ジニーに言わせれば、まだまだ足りないのだろう。
「参ったな……」
ハリーの弱りきった様子に、みんなクスクスと控えめに笑みを漏らした。
「今朝、スコーピウスも似たような心配をしていたよ」
「へえ、どんな?」
ドラコが口元に浮かべた笑みが、普段見慣れたものとは違うような気がしてハリーは興味を引かれた。
「『僕がグリフィンドールになったら、父上や母上は僕を嫌いになりますか』って」
「そう言えば、アルバスも言ってたな。スリザリンになったらどうしようって」
テーブルの上に沈黙が落ちた。自分たちも通ってきた道であるだけに、子供にとってその問題がどれほど重大なものなのか、みな身に染みてわかっていた。けれども、卒業し、学校から離れたからこそ見えてくるものもある。
「ホグワーツにいた時は寮の違いは大きかったけれど……」
どこかしみじみと紡ぐアステリアの言葉をジニーが引き継ぐ。
「卒業してしまえば、そこまででもないわね」
「あら、卒業しなくたって寮の違いは大したことじゃないわ!」
リリーの力強い言葉に大人たちは微笑んだ。
「本当にそうだといいのだけれど」
その言葉が入学から七年たっても変わらないことを願わずにはいられない。
卒業してからもうすぐ二十年にもなろうというのに、寮の違いは自分たちの中でさえ、いまだに完全には払拭しきれていない問題だった。
「私にも早くホグワーツの友達ができないかな!」
言ってリリーはカップの底に残っていた紅茶を飲み干した。兄や大人の話を聞くたびにリリーのホグワーツへの期待は、夏休みの入道雲のようにモクモクと大きくなっていく。入学まで、まだあと二年もあるのが信じられない位だった。
リリーの笑顔に、大人たちは眩しいものでも見るかのように柔らかく目を細めた。
後日、ハリーの元にアルバスからスリザリンに入ったとふくろうが届いたり、ドラコの元にスコーピウスからグリフィンドールでローズ・ウィーズリーと仲良くなったと報告がきたりして二人が悲鳴を上げるのは、また別の話。