「わたしが三人の学友を違法な『動物もどき』にしたことを、ダンブルドアはまったく知らなかった。しかし、みんなで翌月の冒険の計画を立ようと集まる度、わたしはいつも罪悪感を忘れてしまった。そう、わたしは変わらなかった……」
リーマスは自分の言葉にハッとした。口に出してみて、今まで心の奥底で感じてきていながら、ずっと目をそらしてきたものに気づかされてしまったからだった。
リーマスは半ば自問自答するように話し続けた。
「この一年、ずっと葛藤してきた。シリウスが『動物もどき』だとダンブルドアに告げるべきだと考える自分がいた。なのに、わたしはそうしなかった。なぜか? わたしがとても卑怯だからだ。それは、学生時代にずっとダンブルドアの信頼を裏切っていたと認めることだ、わたしが彼らを引き入れたと認めることだ……ダンブルドアの信頼は、わたしにとっては全てを意味する。彼は少年のわたしをホグワーツに入学させてくれたし、わたしに仕事を与えてくれた。わたしはこの正体のせいで、成人してからもずっと避けられ、給料の出る仕事を見つけられなかった。
それでわたしは、シリウスは学校に入り込むのにヴォルデモートから学んだ闇の魔術を使っているに違いない、『動物もどき』とは何の関係もないんだと、自分を納得させた」
リーマスは自分の行いのあまりの苦々しさに顔をしかめた。
そうだ。わたしはあの頃となにも変わっていない。
変わりたいと思ってきたはずだった。ホグワーツの教員としての話をもらったときに、今度こそダンブルドアの信頼に応えよう、と決意を新たにした。それなのに結局、この一年間、リーマスは我が身かわいさからダンブルドアに嘘を突き続けることを絶え間なく選択してきた。
「……そう、ある意味、私に関してスネイプは終始正しかった」
「スネイプ? なんでそこでスネイプが出てくる?」
シリウスに鋭く聞き返されて、リーマスは我に返った。思索するのに夢中になって余計なことまで話してしまった。
「彼はここにいるんだよ、シリウス」応えながらリーマスは自分の気分がますます重くなっていくのを自覚した。「そのうえ、教えているんだ」
今度は不思議そうな顔をしているハリーとロン、ハーマイオニーへと顔を向ける。
「スネイプ教授は、わたしたちと同窓なんだ。彼はわたしが闇の魔術に対する防衛術の教授職に就くのにとても強く反対してね。彼はダンブルドアに一年間ずっと、わたしは信用ならないと言い続けていた。彼には彼なりの理由があった。……なにしろ、シリウスはここで彼に仕掛けたいたずらで危うく彼を殺すところだったんだ、そのいたずらにはわたしも巻き込まれた」
「いい気味だったよ」シリウスがあざわらった。「こそこそとつきまとって、俺たちが何をしているのか探っていた……あいつは俺たちを追放したかったんだ」
「セブルスは、わたしが月に一度、どこへ行くのかにとても興味を持った。わたしたちは同級生でね。それで、その……」
そこまで言って、リーマスは口ごもった。なぜ、スネイプがそんなことに興味を持ったのか、何も知らないハリー、ロン、ハーマイオニーにどうやって説明すればいい?
たしかに、ジェームズとスネイプは仲が悪かった。でも、それは傍目から見れば「お互いに馬が合わない」なんて対等なものではなかった。
嫉妬だ。
二人の仲が徹底的に悪かったのは、ジェームズの嫉妬が原因だった。でもそれを認めれば、学生時代、スネイプを痛めつけるジェームズを前にして何もしてこなかった自分を認めることになる。
そんなことをしたら、目の前の子どもたちに嫌悪の視線を向けられるのは明らかだった。特にハリーはリリーに似て正義感が強い。正直に告げれば、せっかくこの一年間で勝ち得てきた『信頼できる大人』という立場を失ってしまう。
リーマスの心臓が、いきなり三十倍くらいに膨れ上がったようだった。ハリー達三人を見つめたまま、リーマスは息を詰めた。指先が震えているのを誤魔化そうと、両手を強く握り込む。
どうせスネイプは今ここにはいない。嫉妬していたのはジェームズではなくてスネイプだったと言ってしまえ。
リーマスは意識して深く息を吸い、唇を湿らせた。
嫉妬していたのはスネイプだったと、嘘をつくのは簡単だ。それに比べて、ジェームズがスネイプに嫉妬していたのだと正直に告げることは、とてつもない困難を伴うように感じられた。
それに、スネイプがジェームズに嫉妬していたと嘘をついたところで、シリウスがスネイプのために反論するなんてことはありえない。
嘘。
そう。我が身かわいさから、わたしはまた嘘をつこうとしている。ハリーの信頼を失いたくないと言いながら、ハリーの信頼を裏切ろうとしている。ついさっき後悔したばかりの過ちを、また犯そうとしている。
「ルーピン先生?」
黙り込んでしまったリーマスをハリーの緑の目がのぞき込んだ。正義感の塊だったリリーの目が、リーマスを射抜いた。
――変わりたいんじゃなかったの?
そう訊かれているようだった。
リーマスは目をつぶって大きく息を吸った。
「わたしたちは、お互いに全く好きになれなかったんだ。特にジェームズがセブルスを嫌っていた。ただ、スネイプの方も黙ってやられっぱなしになっていたりはしなかった」
リーマスはそこで言葉を切って、ハリー、ロン、ハーマイオニー、それにシリウスに目を走らせた。誰もが黙ってリーマスの次の言葉を待っていた。
リーマスは、四人の様子に肩の力が抜けていくのを感じていた。胸の中でこれでもかと存在を主張していた心臓がしぼんでいく。
「いずれにせよ、スネイプはある晩に校庭を横切るわたしとマダム・ポンフリーを目撃した。わたしはマダム・ポンフリーに引率されて変身のために暴れ柳へ向かっていたんだ。シリウスは、あー、楽しませてやろうと思って、スネイプに何をすればいいのかをすっかり教えてしまったんだ。木の幹にあるコブを長い棒で付けば、わたしの後を追えるようになる、と。そうそれで、もちろん、スネイプは試してみた。もし、彼がこの屋敷まで来ていれば、完全に変身した人狼に出会っただろう。でも、きみのお父さんが、シリウスが何をしたのか聞いて、スネイプの後を追って彼を引き戻した、命の危険を冒してね。……しかし、トンネルの終わりで、スネイプはわたしをかいま見た。スネイプが誰かに話すことをダンブルドアは禁じたけれど、あのときから彼はわたしが何者か知っているんだ」
「それで、スネイプは先生のことが嫌いなんですね。先生もそのいたずらに参加していたと思ってるから」
ハリーが考えをまとめながら、ゆっくりと言った。リーマスは、苦笑を浮かべて、それに応えた。
「たぶん、それだけじゃないんだろうけどね」
リーマスがあまりに親しげにしたせいか、ハリーはリーマスとシリウスを見比べて、少し警戒の色を浮かべて言った。
「でも、僕はまだあなたを信じるとは言えません」
「きみたちに証拠を見せるときがきた」シリウスが言った。「少年、ピーターを寄越せ。今すぐにだ」
そこからの展開はスムーズすぎて、リーマスは何か重大なことを忘れているような、そわそわと落ち着かない気分になる程だった。
ピーターを殺すのをハリーに止められてしまったのは惜しかったが、それでも結果は上々だった。
ハリー達は三人ともリーマスとシリウスの言うことを信じてくれたし、リーマスは十二年ぶりに親友を取り戻した。ピーターを連れて城へ戻れば、シリウスは罪を晴らして自由の身だ。
「それに、誰か二人でこれを拘束しておかないと」シリウスがつま先でピーターをつつきながら言った。「念のために」
「わたしがやろう」
リーマスがピーターの方へ一歩踏みだそうとした瞬間、誰かに強く腕を捕まれた。
「お前は駄目だ」
唐突に背後から聞こえてきた声に、リーマスの顔から音を立てて血の気が引いていく。それはハリー、ロン、ハーマイオニーも同じらしかった。四人が恐怖に固まっている中、シリウスとピーターは純粋に驚きで目を見開いていた。
リーマスはゆっくりと背後を振り返った。そこには、ここにいるはずのないスネイプが忽然と姿を現して立っていた。
「お前は今日、薬を飲んでいない。この屋敷から出るな」
リーマスは自分が何を言われているのか、咄嗟には理解できなかった。
屋敷の中を見回したスネイプがため息を付いて、リーマスの腕を解放した。
「暴れ柳の根本でこれを見つけた」スネイプが左肩に掛かったままだった透明マントを取り払いながら言った。「とても有用だった。ポッター、礼を言うぞ」
話しかけられたハリーは何が起こったのか解らない様子で、黙り込んでしまっている。
スネイプはハリー、ロン、ハーマイオニー、リーマス、シリウス、そして最後にピーターへと順に目を向けた。誰も反応ができないでいるのを認めて、彼は自ら口を開いた。
「お前達はおそらく、どうしてここが解ったのかと、訝しんでいるのだろう? 私はお前の研究室へいったのだ、ルーピン。今夜の薬を取りに来なかっただろう。だから、ゴブレット一杯の薬を持って行った。お前のデスクの上に例の地図が置いてあった。必要なことは一目でわかった。お前がこの通路から走り去っていくのが見えた」
「それで?」
シリウスがスネイプを睨みつけ、彼の眉間に向かって杖を構えた。ピーターの変身を解く為にロンから借りた杖だ。
「話は聞いていた」
言いながらスネイプは、シリウスからピーター、ロン、ハーマイオニー、ハリーへと素早く視線を走らせた。
「今夜は満月だ。薬を飲んでいない人狼をホグワーツの敷地内に入れるわけには行かない。ポッター!」
「は、はいっ!」
突然名前を呼ばれたハリーは飛び上がって返事をした。それにスネイプがニヤリと笑う。
「英雄殿は高慢な父親の親友の無罪を証明したいだろう? 城に戻ってダンブルドアを呼んで来たまえ。グレンジャー、一緒に行って、マダム・ポンフリーを呼んできなさい」
ハリーはハーマイオニーと顔を見合わせた。
「あ、あの、僕は……」
一人だけ名前を呼ばれなかったロンが思わずといった様子で、おずおずと尋ねた。
「ここにいたまえ。その足で動き回られても迷惑だ」
スネイプはシリウスとピーターを一瞥し、逡巡してから言った。
「ブラック、杖をウィーズリーに返したまえ」
「え? あ、ああ……」
虚を突かれたシリウスが、気まずそうにロンに杖を差し出す。
「ほら」
「あ、はい」
杖を受け取ったロンは、シリウスとお互いに不思議そうな表情を浮かべて顔を見合わせた。
「ポッター、グレンジャー! いつまで突っ立っているつもりだ。減点するぞ」
「は、はいっ!」
呆気にとられていた二人が、慌ててドアの向こうへと走っていく。
「突然のスネイプ登場」の衝撃から立ち直り始めたリーマスは、今度はこみ上げてくる笑いをこらえるので手一杯になった。
一年。一年だ。たかが一年、されど一年。
それは、お互いに和解するのには短くても、相手が何を考えているのか推測できるようになるには十分な時間だった。
この一年、リーマスはセブルスと同僚だった。同じように、子供たちを預かる立場だった。だから、彼の采配の理由が解ってしまう。
今、一番危険なのは、薬を飲んでいないリーマスだ。だから、叫びの屋敷で待機させる。子供たちはなるべく危険から引き離すため、城へ帰らせた。その後は大人と一緒に行動させる。ロンは下手に動くと怪我を悪化させる恐れがあるから残した。
セブルスはシリウスとピーターに関しては確信が持てなかったのだろう。あるいは、最初から二人とも信じる気などないのか。いずれにしても、二人の逃亡防止とロンの護衛として、自身は屋敷に残ったのだ。
「何がおかしい?」
眉間に深くしわを寄せ、睨みつけてくるセブルスにリーマスの笑いの衝動はますます強くなった。
理由はよくわからないが、とにかく可笑しかった。スネイプに対して、自分が同じ立場だったらきっと同じようにするとか、冷静だなとか、共感や親近感を覚えていることや、罪悪感やら照れやら嬉しさやら後悔やら喜ばしさやらがごっちゃになって、笑わないとやってられなかった。
まさか、自分がスネイプ相手にこんな風に感じる時が来るだなんて、学生時代からは想像もできないことだった。
リーマスは、しばらく衝動に身を任せて笑いをこぼしていたが、無言で睨みつけてくるスネイプに、決死の努力でなんとか笑いを収めて言った。
「いや、すまない。きみが毎月わざわざ薬を持ってきてくれるほど親切な男だと、今更になって気がついたものだから」
スネイプは何も言わずに、シリウスとピーターを睨みつける作業に戻った。
リーマスは今だに呆然としたままシリウスのそばに立っているロンのところに歩いていき、ロンの肩を叩いてセブルスの方へ行くように促した。
ロンが驚いた顔をしてリーマスを見上げてくる。
「ピーターの近くにいるのは危険だ。もうすぐわたしも変身してしまう。マダム・ポンフリーが来るまで、せめて一階にいなさい」
ロンは頷いて、そそくさとドアへ急いだ。セブルスがシリウスとピーターの視界からロンを遮るようにして、その後を追った。
リーマスは自分の杖をシリウスに差し出しす。
「シリウス、きみに預ける。ピーターをしっかり見張っていてくれ」
シリウスは差し出された杖を取り、リーマスの目を見てしっかりと頷いた。ピーターがヒッと声を上げて、またしゃくりあげ始めた。リーマスは気にせずシリウスに頷き返すと、自分は入り口から一番遠い場所に腰を下ろした。
シリウスがピーターの背中に杖を突きつけて脅しながら、ドアへと向かっていく。
リーマスは板を打ち付けられた窓の隙間から夜空を透かし見た。
もう、あといくらもしないうちに満月が昇る。そう遠くない時間に、ハリーとハーマイオニーが、ダンブルドアとマダム・ポンフリーを連れてきて、シリウスの潔白は証明されるだろう。
今、こんなにも晴れやかな気持ちなのは、ことが何もかも上手く運んだのが一因だろう。けれども、それだけではないことにリーマスは気づいていた。
あの時、ハリーに軽蔑されるかもしれないとおそれながらも、嘘に逃げずにハリーの信頼に応えられた。
ほんの些細なことだけれど、それだけでこんなにも晴れやかな気持ちになれるのなら、あの時「セブルスはジェームズに嫉妬していた」なんて嘘をつかなくて本当によかった。